カサブランカにはなれない
「はい、りんご。」
皿には、りんごとフォークが二つ入れてあってフォークを一つ私の方に向けて高田は言った。
「・・ありがとうございます。」
私はりんごを一つ口にした。
「キヨさん、渡辺さんのことずっと心配していたみたい。俺に渡辺さん見かけたら
気分が悪そうにしていないか元気かどうか見ておいてって言われていたんだ。
ほら、キヨさん他の人達から怖がられていてあまり馴染めなかったから、渡辺さんと話すことをとても楽しみにしていたみたいよ。
別に伝言って言われた訳じゃないんだけどね。
俺がつい最近夜勤の時に言われたんだ。
キヨさんが眠れないって言ってナースステーションの横にずっといて話していたんだ。
渡辺さんはどうしてあんなに元気がないんだろうって。
若いのに、どうして毎日楽しくなさそうな顔をしているんだろうって。
キヨさんが若いときは、お金がなくて家の為に働かなくちゃいけなくて大変だったけど、それでも毎日楽しかったのにって言っていた。
渡辺さんに言ってあげたいことがたくさんあるって言っていた。
あんたは自分が思うほど不幸じゃないって。
自分が思っているほど他人は幸せじゃないって。渡辺さんは、いつも悲しそうな顔をしているって言っていたよ。私の顔を見るなり笑顔を作るって。
私の話をとてもよく聞いているのに、自分の話は一切しないって。
人ときちんと話すのを怖がっているって言っていた。
どうして俺にそんなこと言うのか聞いたら、俺にしか言えないからだって言われたよ。
誰かに渡辺さんを助けてもらいたいからって言われた。
自分の家族には優しくできなかったから、せめて
いつも話しかけてくれた人には優しくしたいって言われた。
本当に、素直じゃないんだから、キヨさんは。
介護の仕事ってさ、仲良くなっちゃうとつらいんだ。
ずっと施設にいてくれる訳じゃないし、キヨさんみたいに別れなくちゃいけない
時もある。だからキヨさんが亡くなってすごく悲しいんだ。
実はさ、指を怪我したの、キヨさんがバランス崩して倒れた時にやっちゃったんだ。
包帯巻いていったら、キヨさん泣いて謝ってきてさ。そのこと思い出したらすごくつらいんだ。でも、もうキヨさんはいないんだ。俺達は家族じゃないけど、
でもずっと忘れないと思うんだ。
< 191 / 201 >

この作品をシェア

pagetop