死刑への日々
十三時十分から屋外運動の時間だ。五メートル×六メートルほどの場所で縄跳び、ボール運動などを単独で行う。夏は週2回、冬は週3回、入浴日にはない。
屋外運動の間は発声、しゃがみ込み、逆立ち、囲いを上ることは禁止されている。
外にでたからといって閉塞された空間に孤独でおかれていることに代わりはない。
十三時四十分、房に戻り掃除。
十四時四十五分房内体操。再びコーヒーの湯をもらう。
十五時三十分、夕食。豚肉のすき焼きや焼きそばなどもあるが量は少ない。
十六時三十分、夕方点検。
十七時、仮就寝のチャイム。これ以降は布団を敷いて横になることが許される。
私は一日のイベントとイベントの間の時間、聖書を読んで過ごしている。空き時間だからといって決められた時間以外に横になることはできないのだからだ。勿論、それ以外の理由もある。
私が殺してきた被害者達が夜ごと私の前に現れるからだ。ある者は血を流し、ある者は骨を剥き出しにして暗く生気のない憎悪の視線を私に投げてくるのだ。恨みの言葉を浴びせる者もいた。見えざるものが見え、聞こえざるものが聞こえ、私の精神は限界にきていた。
そんな私を救ってくださったのが教誨師の先生だった。先生は罪を悔い、許しを求める者を神は許されると説いてくれた。
そのとき、私は神を信じているわけではなかった。ただ毎夜訪れる悪夢から逃れたかった。そのために藁をも掴む思いだった。今にも崩壊してしまいそうな心の支えとなるものが欲しかった。これまで一度も私を顧みてくれなかった神に縋るしかなかった。
聖書を読むようになって被害者たちは次第に姿を現さなくなっていった。神が私に手を差し伸べてくれたのではないかと感じた。今、私の心を脅かすものはいない。
私たち死刑囚には会話は殆ど存在しない。死刑囚同士の会話も、刑務官との会話も禁じられているからだ。唯一人と話すことができるのは面会の時だけだった。だがそれも親族と弁護士に限られている。孤独と沈黙の世界、それが刑の執行の日まで続くのだ。
屋外運動の間は発声、しゃがみ込み、逆立ち、囲いを上ることは禁止されている。
外にでたからといって閉塞された空間に孤独でおかれていることに代わりはない。
十三時四十分、房に戻り掃除。
十四時四十五分房内体操。再びコーヒーの湯をもらう。
十五時三十分、夕食。豚肉のすき焼きや焼きそばなどもあるが量は少ない。
十六時三十分、夕方点検。
十七時、仮就寝のチャイム。これ以降は布団を敷いて横になることが許される。
私は一日のイベントとイベントの間の時間、聖書を読んで過ごしている。空き時間だからといって決められた時間以外に横になることはできないのだからだ。勿論、それ以外の理由もある。
私が殺してきた被害者達が夜ごと私の前に現れるからだ。ある者は血を流し、ある者は骨を剥き出しにして暗く生気のない憎悪の視線を私に投げてくるのだ。恨みの言葉を浴びせる者もいた。見えざるものが見え、聞こえざるものが聞こえ、私の精神は限界にきていた。
そんな私を救ってくださったのが教誨師の先生だった。先生は罪を悔い、許しを求める者を神は許されると説いてくれた。
そのとき、私は神を信じているわけではなかった。ただ毎夜訪れる悪夢から逃れたかった。そのために藁をも掴む思いだった。今にも崩壊してしまいそうな心の支えとなるものが欲しかった。これまで一度も私を顧みてくれなかった神に縋るしかなかった。
聖書を読むようになって被害者たちは次第に姿を現さなくなっていった。神が私に手を差し伸べてくれたのではないかと感じた。今、私の心を脅かすものはいない。
私たち死刑囚には会話は殆ど存在しない。死刑囚同士の会話も、刑務官との会話も禁じられているからだ。唯一人と話すことができるのは面会の時だけだった。だがそれも親族と弁護士に限られている。孤独と沈黙の世界、それが刑の執行の日まで続くのだ。