隣人M
真実を、君に(1)
もう4時間くらい、二人とも沈黙を守っていた。克己はさっきから腰を落ち着けて、女の様子を観察している。女もそうだった。背中を丸め、下に向けた顔。それでも視線は、克己から離さなかった。
時間は分からない。場所もさっきからころころと変わっている。克己自身は少しも動いていないのに。からだがさっきから安定しないような気がする。
克己は不快感に酔っていた。頭が揺れるように痛く、吐き気が治まらない。夕夏、夏彦、両親の顔が次々と浮かんでは消える。
さっきまでは立ってあちこちを見て回っていたが、その後から女がぴったりついてくる。無言で、銃を克己の後頭部にぐいと押しつけて。
もう克己は疲れ果てていた。立つ気力もない。しかし、不思議と恐怖は感じなかった。上を見ると、空間が曲がりくねって、何かが屈折しているように感じる。温度の感覚も全くなかった。
「そろそろいいだろ。教えてくれよ、何もかも」
克己はぽつりとつぶやいた。落ち着いていた。女は髪をかきあげて克己を見た。うるんだような瞳が、何かを訴えている。
「夕夏はどうしたんだ。何故……夏彦を……ここはいったい……」
「夕夏、は殺した」
克己の頭の中で、その簡単な一言がリフレインする。頭が割れそうだった。
「……しかし、命を奪ったのとは少し違う」
「何だって?……殺したんだろ?」
「……状況の説明からしなくてはならないようだ」
女は視線を反らした。ゆっくり立ち上がり、ブーツのヒールをカツカツ鳴らす。その様子がひどくもどかしそうで、苦し気だった。丸くて小さな肩が小刻みに揺れている。
「お前は現実の人間ではない」
「……何を言ってる?俺は人間だよ。ほら、見ろよ。この姿、この声……」
「お前は結城克己だ」
「ああ」
「でも、結城克己ではない。お前は、『結城克己』という24歳の男の、病んだ心の中の住人なんだ」
心の中の住人……克己は何度も反芻した。理解できなかった。どういうことなんだ?俺は今まで普通に生活してきた。高校で、バスケ部に入って……夏彦という親友がいて……幼なじみの夕夏が……待て。俺はどうやって高校に入った?中学は?小学校は?夕夏が幼なじみ?いつから知っていたんだ?幼い時に遊んだ記憶が薄い。はっきりしない、おぼろ気なもの。これは……自分の記憶なのか?夕夏や夏彦、父や母の顔が克己に微笑みかけては、ぼんやりゆらいで消えた。自分のからださえも消えていくような、不思議な感覚。
「どういうことだ……?」
女は軽くせきばらいをした。
「さっき、椎名が自己紹介をしただろう。あいつは心療外科医。数少ない心の治療のスペシャリストだ。『結城克己』は、あいつの患者の一人。ひどい状態だ。医者自身がこうやって、患者の心に入り込んでくるなんて、めったにないケースだ。……まあ、それだけではないが」
「それじゃあ……あんたは?」
「私か?私は心療外科技師。まあ、助手みたいなものだ。実際の治療をするのは私だ」
「人殺しだろ?」
「違う」
「何が違うって言うんだよ!俺の大切なものを奪いやがって!」
女はぴくりと眉を動かして、じっと克己を見据えた。
「お前のせいだ」
時間は分からない。場所もさっきからころころと変わっている。克己自身は少しも動いていないのに。からだがさっきから安定しないような気がする。
克己は不快感に酔っていた。頭が揺れるように痛く、吐き気が治まらない。夕夏、夏彦、両親の顔が次々と浮かんでは消える。
さっきまでは立ってあちこちを見て回っていたが、その後から女がぴったりついてくる。無言で、銃を克己の後頭部にぐいと押しつけて。
もう克己は疲れ果てていた。立つ気力もない。しかし、不思議と恐怖は感じなかった。上を見ると、空間が曲がりくねって、何かが屈折しているように感じる。温度の感覚も全くなかった。
「そろそろいいだろ。教えてくれよ、何もかも」
克己はぽつりとつぶやいた。落ち着いていた。女は髪をかきあげて克己を見た。うるんだような瞳が、何かを訴えている。
「夕夏はどうしたんだ。何故……夏彦を……ここはいったい……」
「夕夏、は殺した」
克己の頭の中で、その簡単な一言がリフレインする。頭が割れそうだった。
「……しかし、命を奪ったのとは少し違う」
「何だって?……殺したんだろ?」
「……状況の説明からしなくてはならないようだ」
女は視線を反らした。ゆっくり立ち上がり、ブーツのヒールをカツカツ鳴らす。その様子がひどくもどかしそうで、苦し気だった。丸くて小さな肩が小刻みに揺れている。
「お前は現実の人間ではない」
「……何を言ってる?俺は人間だよ。ほら、見ろよ。この姿、この声……」
「お前は結城克己だ」
「ああ」
「でも、結城克己ではない。お前は、『結城克己』という24歳の男の、病んだ心の中の住人なんだ」
心の中の住人……克己は何度も反芻した。理解できなかった。どういうことなんだ?俺は今まで普通に生活してきた。高校で、バスケ部に入って……夏彦という親友がいて……幼なじみの夕夏が……待て。俺はどうやって高校に入った?中学は?小学校は?夕夏が幼なじみ?いつから知っていたんだ?幼い時に遊んだ記憶が薄い。はっきりしない、おぼろ気なもの。これは……自分の記憶なのか?夕夏や夏彦、父や母の顔が克己に微笑みかけては、ぼんやりゆらいで消えた。自分のからださえも消えていくような、不思議な感覚。
「どういうことだ……?」
女は軽くせきばらいをした。
「さっき、椎名が自己紹介をしただろう。あいつは心療外科医。数少ない心の治療のスペシャリストだ。『結城克己』は、あいつの患者の一人。ひどい状態だ。医者自身がこうやって、患者の心に入り込んでくるなんて、めったにないケースだ。……まあ、それだけではないが」
「それじゃあ……あんたは?」
「私か?私は心療外科技師。まあ、助手みたいなものだ。実際の治療をするのは私だ」
「人殺しだろ?」
「違う」
「何が違うって言うんだよ!俺の大切なものを奪いやがって!」
女はぴくりと眉を動かして、じっと克己を見据えた。
「お前のせいだ」