隣人M
管理人室への途中で
「何しに行くんだ、椎名さんのところに」
放課後、夏彦が歩きながらぼそりと尋ねた。あまり答えを期待していないかのような投げやりな態度だ。克己はさっき買ったコーラを一口飲んだ。甘い液体が、シュワシュワとゆっくり喉を流れていった。
「知りたいことがあるんだ」
「お前、まだ隣の奴のことを気にしているのか?」
「……まあな」
「どうしてだ?何かあったのか?」
夏彦が心配そうに克己を見やる。彼は無理に笑った。なぜか抑えようのない不安がこみ上げてきたが、口には出さなかった。
―どうして?夏彦は、友達だから心配をかけたくないのか?トモダチダカラ?しかし俺たち、いつから仲が良かったんだ?思い出せない……朱に染まった葉がヒラヒラと舞い落ちて、克己の靴底にすべりこんだ。思わず踏みつけると、それはぱりっと乾いた音をたててこなごなになった。
「そんなじゃないさ。ただ興味があるだけさ」
だいぶ時間が経ってから、克己は元気よく言った。夏彦は何も言わずに目を伏せていた。重い沈黙のベールがふわりと二人を包み込む。肩にのしかかる一秒の重みが苦しかった。
厚いベールを一瞬で切り裂いたのは、聞き慣れた彼女の声だった。
「克己!夏彦くん!ちょっと待ってよ!」
振り向くと、手を大きく振りながら駆けてくる夕夏の姿が目に入った。彼女はショートカットの髪を少しなでつけながら、息をはずませてやって来た。
「お前、部活は?」
「何言ってるの。自分たちばかりさぼるつもり?あたしを置いていくなんて」
夕夏はふくれてみせた。夏彦がそんな彼女を見て小言を言う。
「あのなあ、お前はマネージャーなんだよ。皆の世話が仕事だろ?筋トレの日だっていろいろやることはあるじゃないか」
「いいの、いいの。アッカに頼んできたから」
アッカとは、夕夏の大親友の山口あすかのことだ。克己は言う。
「お前、山口は確か女子バスケ部のマネージャー……」
「あーもう!いいから、いいから!」
夕夏はドンと克己の背中を押した。彼は思わず一、二歩よろけて倒れそうになった。それを見て夏彦が横でクスクス笑っている。
夕夏が先頭に立って歩き出した。夕夏はかなり背が高い。克己は夕夏と並ぶと身長の点で圧倒されそうで、気に病んでいた。
「日が暮れるのが早くなったね」
夕夏が呟く。ゆるやかな横顔のラインが夕闇に溶け込んでしまいそうにやわらかに見えた。白い額に、少し長めの前髪がさらさらとかかっている。その前髪が風に揺れて、彼女はそっと目を閉じた。
「ところでどこに行くの?」
「俺のマンションの管理人さんの所だよ」
「ああ、椎名和馬さん」
克己は夕夏が椎名のことを知っていることに驚いた。
「何で名前を知ってる?」
「近所じゃ有名人よ。すごくハンサムなんでしょ?やったあ、一度会ってみたかったんだ」
克己の胸に、失望が芽生えた。同時に夏彦がふっとため息を漏らした。
「あたしもついていくからね」
三人は、いつの間にかマンションの前に来ていた。夕夏は克己の答えを待たずにマンションに駆け込んでいった。夏彦はやっぱり気乗りしない様子だったが、少しの間空を仰ぐと、やがて決心したように建物の中へ消えた。克己は手の中の缶に口をつけた。ぐいと飲み干すと、気の抜けたコーラが、苦く感じられた。
放課後、夏彦が歩きながらぼそりと尋ねた。あまり答えを期待していないかのような投げやりな態度だ。克己はさっき買ったコーラを一口飲んだ。甘い液体が、シュワシュワとゆっくり喉を流れていった。
「知りたいことがあるんだ」
「お前、まだ隣の奴のことを気にしているのか?」
「……まあな」
「どうしてだ?何かあったのか?」
夏彦が心配そうに克己を見やる。彼は無理に笑った。なぜか抑えようのない不安がこみ上げてきたが、口には出さなかった。
―どうして?夏彦は、友達だから心配をかけたくないのか?トモダチダカラ?しかし俺たち、いつから仲が良かったんだ?思い出せない……朱に染まった葉がヒラヒラと舞い落ちて、克己の靴底にすべりこんだ。思わず踏みつけると、それはぱりっと乾いた音をたててこなごなになった。
「そんなじゃないさ。ただ興味があるだけさ」
だいぶ時間が経ってから、克己は元気よく言った。夏彦は何も言わずに目を伏せていた。重い沈黙のベールがふわりと二人を包み込む。肩にのしかかる一秒の重みが苦しかった。
厚いベールを一瞬で切り裂いたのは、聞き慣れた彼女の声だった。
「克己!夏彦くん!ちょっと待ってよ!」
振り向くと、手を大きく振りながら駆けてくる夕夏の姿が目に入った。彼女はショートカットの髪を少しなでつけながら、息をはずませてやって来た。
「お前、部活は?」
「何言ってるの。自分たちばかりさぼるつもり?あたしを置いていくなんて」
夕夏はふくれてみせた。夏彦がそんな彼女を見て小言を言う。
「あのなあ、お前はマネージャーなんだよ。皆の世話が仕事だろ?筋トレの日だっていろいろやることはあるじゃないか」
「いいの、いいの。アッカに頼んできたから」
アッカとは、夕夏の大親友の山口あすかのことだ。克己は言う。
「お前、山口は確か女子バスケ部のマネージャー……」
「あーもう!いいから、いいから!」
夕夏はドンと克己の背中を押した。彼は思わず一、二歩よろけて倒れそうになった。それを見て夏彦が横でクスクス笑っている。
夕夏が先頭に立って歩き出した。夕夏はかなり背が高い。克己は夕夏と並ぶと身長の点で圧倒されそうで、気に病んでいた。
「日が暮れるのが早くなったね」
夕夏が呟く。ゆるやかな横顔のラインが夕闇に溶け込んでしまいそうにやわらかに見えた。白い額に、少し長めの前髪がさらさらとかかっている。その前髪が風に揺れて、彼女はそっと目を閉じた。
「ところでどこに行くの?」
「俺のマンションの管理人さんの所だよ」
「ああ、椎名和馬さん」
克己は夕夏が椎名のことを知っていることに驚いた。
「何で名前を知ってる?」
「近所じゃ有名人よ。すごくハンサムなんでしょ?やったあ、一度会ってみたかったんだ」
克己の胸に、失望が芽生えた。同時に夏彦がふっとため息を漏らした。
「あたしもついていくからね」
三人は、いつの間にかマンションの前に来ていた。夕夏は克己の答えを待たずにマンションに駆け込んでいった。夏彦はやっぱり気乗りしない様子だったが、少しの間空を仰ぐと、やがて決心したように建物の中へ消えた。克己は手の中の缶に口をつけた。ぐいと飲み干すと、気の抜けたコーラが、苦く感じられた。