理想恋愛屋
 目を見開いていた秋さんは、こんなオレの勢いに負けてか、クスリと笑い出した。

「やっぱり、葵ちゃんは素敵なヒトね」

 目じりを拭うと、どこかスッキリしたように秋さんが微笑んできた。

「そんな風に言ってもらえるなんて思ってなかったなぁ」

 嬉しそうに夜風を受けてはにかむと、カバンの中から一枚の小さな紙を手渡してきた。

 それは見慣れた、オレの名刺だった。

「教えてあげる。
アタシと葵ちゃんはなーんにもないからね?」

 秋さんは意地悪そうに覗き込んできた。


 …え?

 別に崩れた化粧のせいで、この世のものとは見えなかったからじゃない。

今までの焦りや苦労が一瞬にして水にすらならずに消えてしまった。


「ウチのお店に来た葵ちゃんが『恋してるなら、オレがなんでも手伝ってあげる』って言ってくれたのよ?
頼もしいなぁと思って、お店が終わるまでいてもらったんだ」

 クスクスと、それはもう楽しそうに話す。


 …ということは、だ。

秋さんに申し訳ない、とか思う必要もないってこと。


「……よ、よかったぁ…」

 なんだかオレまで涙ぐんできた。

身の潔白というのは、こんなにも嬉しいものなのか。


 オレの理性を褒めてあげたい!

なんて、どこかのアスリートの言葉を借りたときだ。


「だから、後悔しないように…」

 ふわふわと巻いてある髪をもう一度耳にかけた秋さんが、少し腰を浮かして向き直ってくる。

そして少しずつ、ベンチに座る距離が縮めていく。

「あ、秋さん……?」

 ゴクリとつばを飲み込んで、条件反射のごとく後ずさりを始めていた。


「岡崎さんのことは、もう吹っ切る」


 ニコリと笑った秋さんが……怖い。

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