理想恋愛屋
「恋の傷は新しい恋に限ると思わない?」

 妖しい視線を投げてくる秋さんに、オレは言葉も出ない。

「いや、あの…」

 たじろぐのもお構いなしに、バタバタと距離をとるために振っていたオレの手をそっと握る。

秋さんは、さらに距離を詰めてきた。


「葵ちゃんになら、アタシの秘密、教えてあげようかな」

 笑っているはずなのに、肉食動物のような瞳。


「ちょ…ちょちょ、あ、あああ秋さんっ!?」

 今にも強制的に既成事実を作り上げられてしまう絶体絶命のピンチに、目が回りそうだった。

それでも秋さんはオレの手をそっと自分の胸に押し当てる。


 ひぃいぃいっ……!!

 鼓動と心の叫びは絶頂を向かえ、遠のく意識の手前でペコっと間抜けな音がした。



 ……『ペコ』?



 聞きなれない、そしてありえない感触に首をかしげた。


 秋さんの胸にあてがわれているのはオレの手。
だけど食い込んでいるんだ。


 いや、言い方を間違えた。

へこんだんだ……、秋さんの胸が。


 これは一体どういうことなんだ?

焦りすぎた疲労感で、オレの脳みそは働いてくれない。


 ぼけっとしているオレを現実にもどすかのように遠くで声がした。

「葵ぃーっ!!」
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