理想恋愛屋
 デスクの脇にある茶棚で、小さな電気ポットから急須にお湯を注ぐ。

少し前にお客さんからもらっていた紅茶の茶葉を適当に入れて、色が出始めるとできるだけ綺麗なマグカップに淹れた。

「熱いけど」

 取っ手の方をまわすように差し出すと、小さくありがとう、といって受け取ってくれた。

オレも真正面にもたれるように座る。


 実際、目の前にしたら、何から話していいかわからなかった。


「葵、元気そうだね?」

「……ん、なんとかね」

 萌は桜色の唇をそっとカップにつけながら、まつげを伏せた。

言葉が見つからなくて、オレもカップに口をつける。


「……上原のじーさん、元気?」

「すこぶる、ね」

 少しの皮肉も交えて、視線を合わせないまま聞いた。

だから、萌がどんな顔して返事してたのか、オレにはわからない。



「あたし、葵のことずっと待ってたんだよ…?」


 萌がぽつりと呟いた。

でもオレは言っている意味をすぐに理解できなくて、手が止まった。


 いつの間にか萌のカップの中は空になっていて、席を立つ。

「もう、帰るね?」

 口元は笑っていたけれど、目はぎこちなかった。

「……うん…」

 萌につられて、オレもぎこちない笑顔を返すしかできなかった。

振り返ることもないまま事務所を出る背中を見送る。




 送り出してから、この事務所には珍しくずっとオレ一人。

だから思いのほか、いろんな出来事を思い出してしまった。



 萌は、オレの恋人だった──……



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