理想恋愛屋
 これ以上近寄ってはイケナイ。

「な、投げてくれっ」


 オレの第六巻がそういっていた。

が、彼女は楽しそうにすくっと立ち上がる。


「んじゃ、遠慮なく」

 意地悪く口端を吊り上げた彼女は枕を片手に、浴衣の袖を肩までめくりあげる。

振りかぶった彼女にオレは、しまったと今更ながら後悔する。


「ちょっと待てって…!」


 抗議した瞬間だ。

踏み込んだ彼女の綺麗な足が、シーツの上をするりと滑る。


「あぁっ……っ!!」

 オレの悲鳴か、彼女の叫び声か。

どちらにしろ、それと同時にオレの体は条件反射のごとく飛び込んでいた。


 ズズズッ、と畳の上を滑り込んで、浴衣が擦り切れたのかと思うくらい熱く感じる。

そして腕の中で思い切りかぶさってきた彼女が無事であったことに、オレはどっと安堵のため息を吐いた。


「…あっぶねぇ」

「ん~っ」


 目をつぶっていた彼女が、ゆっくり上半身を起こす。

オレの腕に半身を預けた状態で、彼女の大きな瞳がもう目と鼻の先だ。


「だ、だだ、大丈夫か?」

 オレはいたって平静を装って、裾を直しながら立ち上がる。

なんだかやけに心臓が忙しいので、少しは休憩してほしいと願うばかりだ。


「んもう、葵がわけわかんないことばっかりするからでしょ!?」

「……ハイハイ。」


 彼女のとんだ八つ当たり。

いつものごとく聞き流すと、しゃがみこんで肘をさする彼女に手を差し伸べる。


「ほら、怪我ないか?」

 オレの言葉にきょとんと見上げた彼女。

珍しく文句一つ言わずオレの手を握り返してきた。

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