理想恋愛屋
 あんなに弱弱しく泣いていたあの瞳は、すでに野生に戻っていた。

 そんな肉食動物のような眼光にオレは勝てるわけもなくて、声を発するコトさえできなかった。


「遥姫……」

 兄の声に反応して、すこしだけあの大きな瞳が揺れた。


「萌さん、でしたよね」

 女子高生とは思えないほど、凄みを含ませたその声。

「は、はい」

 萌の答えに、彼女は一歩前に出る。


 なんだ、戦いが始まるのか!?

オレの恐ろしい予想が、焦りへと駆り立てる。




 彼女クセ毛がふわっと宙を舞って、艶をだすようにうなだれる。


「兄のこと、よろしくお願いします」

 キレイなお辞儀だった。


 多分、そこにいる誰もが驚いていた。

言葉を失ったオレたちに対して、萌だけは違った。


「…ええ、わかりました」

 優しいのに、どこか強いその視線は彼女に向けられていた。

 ぱっと顔をあげた彼女は、くるりと向きを変えて部屋を出ていってしまう。


 展開に頭が追いついていなかったけど。

少しでも彼女の想いが報われたんじゃないか、とオレは思う。


「じゃ、じゃあ、これで!」

 思い出したようにオレは言葉を残して、部屋を飛び出た。

「葵さん!」

 兄に呼び止められたオレは、顔だけひょっこり出す。

「遥姫をよろしく頼みます」

 なんだか父親から嫁をもらうみたいな気恥ずかしさ。

萌に対する切なさだってあるけれど、彼女に振り回されていたらそんなのどっかに吹っ飛んだ。


 かなり強引だし、ヒネクレ者だけど。

「……まあ、できる限り」

 苦笑いを返して、オレはもう一度走り出した。


< 29 / 307 >

この作品をシェア

pagetop