理想恋愛屋
「さ、萌さん。用件は終わりましたし、僕たちはさっさと帰りましょうね」

「あの、でも……っ」

 戸惑う萌の背中をグイグイと押して、とっとと退散した兄はやはり彼女を熟知している。


「ま、待って、遥姫?」


「ぬぁああにを待てってぇええ?」


 じわり、じわり、と秋さんに詰め寄るその姿は、さながら悪魔──いや鬼だ。

これをずっと相手にしていたのか、とオレは自分を感心せざるを得ない。


「お、オトメくん助けてっ」

 と小声でヘルプを出した先には、すでに彼女の気迫に圧倒されたもぬけの殻。


「あ、葵ちゃぁあああんっ」


 ゴメン、秋さん。これだけは譲れないんだ。

痛みの愚痴くらいなら、いつでも聞いてあげるぜ。



「アイスいくらでも買ってくるからぁあああっ」

 すでに唸り始めているのは、彼女の武器。


「それとこれとは、別問題じゃぁあああっ」


 もう鬼と化した彼女は、誰も止められない。


「きゃぁああああっ」



 パシィィィィイインッ、と乾いた音がビルに響き渡った。





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