理想恋愛屋
 まさに踏んだり蹴ったりとはこの事だ。

 片手にソーダ色のアイスを握りしめている彼女は、ツンとすましてオレの椅子にふんぞり返っている。


「あのさぁ、オレ仕事中なん──」

 デスクの隣に一歩近づいた瞬間、


「来ないでよ!変態っ!」

 容赦ないいわれようだ。

 こうなったらテコでも動かないので、仕方なくデスクから資料だけそっと抜き取り、ソファに腰掛ける。



 彼女は、一ノ瀬遥姫(ハルキ)。

これでも大会社中の大会社・イチノセの社長令嬢だ。

そのイチノセってのは、CMやら看板広告やら、その文字を見ない日はないといっても過言じゃない。

それぐらいの大規模な組織で、彼女はそのトップの娘なのだ。


 オレからしたら、可愛い顔した悪魔。

なにより兄のこととなると手をつけられないから、オレは振り回されっぱなしだ。


ただ、彼女の気持ちもわからなくはないんだが……そうやって思いやった瞬間が、痛い目にあうんだ。


 そしてタイミングよく、この『理想恋愛屋』の事務所の扉が開かれた。


「いらっしゃいま……」

 立ち上がると、見覚えのある顔にオレはすくんでしまった。


「こ、こんにちは、葵」

 ちょっと照れくさそうに、髪を耳にかける可憐な女性。

気まずい雰囲気だけは避けたくて、オレもできる限り笑ってみた。

「久しぶり、萌」

 ソファに促すと、オレの背後に驚いたように萌は釘付けになる。


 ……そうだった、彼女がいたのだ。

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