理想恋愛屋
「お手洗いに行くといって帰ってきてないそうなんです」

「じゃあ、戻ってくるんじゃ…?」

「もう三十分以上も帰ってきてないんですよ!」

 彼の言葉にジワリと嫌な汗が流れた。


「あいつの出番まであとどれくらい……?」

 胸騒ぎは静まることなく支配していく。

腕時計を真剣にみた彼は、複雑そうに呟いた。

「まだ衣装を着ていませんから、余裕を持って十五分程しか……」

 あんな格好でふらふら出歩いたのか!

そんな怒りすら覚えるオレは、すでに足が走り出していた。


「あ、葵さん!?」

「探すしかないだろう!?」


 騒ぎ立てるのも混乱を招くので、ごく少数の精鋭で彼女の捜索が始った。

彼女は一度引き受けたことを、無責任にもほったらかすような人間じゃない。

スタッフの中にはそんな風にいうヤツもいたが、オレはそんなこと信じない。


 いや、彼女だったらありえないんだ。


 控え室周辺から離れ、単独で彼女を探し始める。

そんなことを考えていたオレは、不覚にも迷い込むように変電室の辺りに来てしまっていた。

「やっべ、道まちがえたかも……」

 見取り図を控え室に置いてきてしまった為、右も左もさっぱりだった。

そんな時、微かに変電室の隣にある倉庫と書かれた扉の向こうから話し声が聞こえた。

 恥ずかしながらも、道を聞こうとドアノブに手をかけた時だった。

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