秘めた想い~紅い菊の伝説2~
 黒い物体は誰かが持ち込んだバスケットボールだった。それが何かの弾みで窓辺で話し込んでいた美鈴と佐枝の方に勢いをつけて飛び、佐枝の胸を直撃したのだ。佐枝は元々窓にもたれかかるという不安定な姿勢をしていたので、その衝撃を受けきることができずにバランスを崩して外に落下したのだ。
 美鈴達の教室は校舎の二階、低いとはいえない高さがあり、その直下は運悪くコンクリートだった。
 佐枝の体は背中から落下し、一度バウンドして動かなくなった。
「佐枝!」
 美鈴は叫び続けた。
 だが、佐枝の体はその声に反応しない。
 美鈴は教室を飛び出した。
 その様子を司会の片隅で見ていた啓介が後を追う。
 孝はこの異常な事態を担任に知らせにやはり教室を出る。
「誰だ、教室でボールなんか投げている奴はぁ!」
 義男は騒然としている教室の中を見回して、やがて呆然としている男子生徒を見つけ出し、駆け寄り、その胸ぐらを掴みあげた。
「てめぇか、教室でボール投げなんかしていたのは!」
 義男の形相にその男子生徒は震え上がっている。義男は右の掌を握ると素早く彼の顎を打ち抜いた。殴られた生徒が後ろに弾き飛ばされる。倒れた生徒に向かって次の手を放とうと駆け寄る義男の前に美佳が立ちはだかった。
「和田ぁ、そこをどけ!」
 義男は興奮して正気を失っていた。
 しかし美佳はそれに負けることなく、義男の頬を平手で叩いた。
「しっかりしてよ、今は喧嘩なんかしている時じゃないでしょう!」
 それはいつも大人しい美佳にとって想像もできない行動だった。そして義男を見つめる視線は険しかった。
 義男は頬に痛みを感じると高ぶっている呼吸(いき)が次第に治まっていくのを感じた。「とにかくみんな落ち着いて。きっと今大野君が職員室に連絡してくれているはずよ。保健の先生もすぐに応急処置をしてくれるでしょう。私たちが騒いでも事態はよくならないわ」
 美佳の言葉に教室内を渦巻いていた嵐のような喧噪は次第に弱まっていった。
 こういうときの孝と美佳の連携は優れていた。互いに言葉を交わすこともなく、相手の行動を読み、事態を収めていくのだった。
 義男は握りしめた拳を解きながら割れた窓から落ちた佐枝の様子をうかがった。
 現在(いま)、佐枝の傍には美鈴と啓介の姿があり、遠くからサイレンの音が近づいてきていた。
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