八神姫
そういうなり立ち上がった女ではあるが、やはりどこか具合が悪いのだろう。足元がふらつきかけている。その体を近くの柱にあずけようとしているのだが、左手の方が柱に近いにもかかわらず、あえて右手で己の体を支えるようにしている。そんな彼女の様子をみていた相手は痛ましそうな顔で声をかけていた。
「姫も、あのような時間にお一人で外を歩かれるようなことをなさいますから。誰か供のものをつけてさえおれば、このような目にあわれずともすんでいたでしょうに」
「もうすんだこと。いつまでも、愚痴のように言うでない。しかし、妾のことをよりにもよってあのようなものだと思うとは……」
そう呟くと、彼女は自分の手元をじっと凝視している。しかし、そこにあるべきものが一つかけているのはどういうことなのだろうか。本来であれば、十二単の左の袖口から見えているはずの指が見えている様子がないのだ。
「このままのなりでは、街中を歩くことなどできようはずもない。牛車を用意するようにいいつけてきておくれ」
少し、息が荒くなったような感じがしないでもないが、彼女は出かけようとしているようだった。そして、それを止めることができないと感じているのか、いいつけられた相手も素直に、その場から立ち去っている。ようやく、一人になることのできた女は、ため息をつきながら、部屋の外、抜けるような青空を見上げていた。
「妾にこのような思いをさせた報いは受けてもらわねばならぬな」
一体、何をそこまで思いつめているのかわからない。しかし、あまり体調もすぐれない様子であるにもかかわらず、出かけようとするにはなにかよほどの事情があるのだろう。屋敷の者も止めることができないとわかっているのか、黙って彼女が牛車に乗るのを見送っている。
そして、ゆれる牛車の中で女は何事かを考えている。その顔を隠すようにかざされている檜扇。さほど重いものではないが、それなりの大きさであるそれは、片手で持てるものではないのだろう。いつもの習慣からか、左手でそれを支えようとした女の顔色が、一瞬にして変わっていた。なぜなら、扇は支えられることなく、カタリと下に落ちているからだ。
「あの下衆が。妾のことをあのような下劣な輩と混同するとは、不埒にもほどがある。あのような輩が大手を振って歩いておるから、我々八神の者は苦労が絶えぬ」
苦々しげに吐き出される言葉。それは十二単の衣をまとった姫が口にするとは思えない、呪詛の言葉。しかし、その場には誰もおらず、彼女の言葉を聞きとがめるものがいるはずもない。やがて、女を乗せた牛車はある家の前で止まっていた。
「姫も、あのような時間にお一人で外を歩かれるようなことをなさいますから。誰か供のものをつけてさえおれば、このような目にあわれずともすんでいたでしょうに」
「もうすんだこと。いつまでも、愚痴のように言うでない。しかし、妾のことをよりにもよってあのようなものだと思うとは……」
そう呟くと、彼女は自分の手元をじっと凝視している。しかし、そこにあるべきものが一つかけているのはどういうことなのだろうか。本来であれば、十二単の左の袖口から見えているはずの指が見えている様子がないのだ。
「このままのなりでは、街中を歩くことなどできようはずもない。牛車を用意するようにいいつけてきておくれ」
少し、息が荒くなったような感じがしないでもないが、彼女は出かけようとしているようだった。そして、それを止めることができないと感じているのか、いいつけられた相手も素直に、その場から立ち去っている。ようやく、一人になることのできた女は、ため息をつきながら、部屋の外、抜けるような青空を見上げていた。
「妾にこのような思いをさせた報いは受けてもらわねばならぬな」
一体、何をそこまで思いつめているのかわからない。しかし、あまり体調もすぐれない様子であるにもかかわらず、出かけようとするにはなにかよほどの事情があるのだろう。屋敷の者も止めることができないとわかっているのか、黙って彼女が牛車に乗るのを見送っている。
そして、ゆれる牛車の中で女は何事かを考えている。その顔を隠すようにかざされている檜扇。さほど重いものではないが、それなりの大きさであるそれは、片手で持てるものではないのだろう。いつもの習慣からか、左手でそれを支えようとした女の顔色が、一瞬にして変わっていた。なぜなら、扇は支えられることなく、カタリと下に落ちているからだ。
「あの下衆が。妾のことをあのような下劣な輩と混同するとは、不埒にもほどがある。あのような輩が大手を振って歩いておるから、我々八神の者は苦労が絶えぬ」
苦々しげに吐き出される言葉。それは十二単の衣をまとった姫が口にするとは思えない、呪詛の言葉。しかし、その場には誰もおらず、彼女の言葉を聞きとがめるものがいるはずもない。やがて、女を乗せた牛車はある家の前で止まっていた。