主さまの気まぐれ-百鬼夜行の王-【短編集】※次作鋭意考案中※
「幽玄町を出ようと思う」


ある日突然そう切り出した晴明を横目で見た主さまは、空に煙を吐きながら瞳を細めた。


「…百鬼には入らない、と?」


「ああ。私は陰陽師となり、人と妖の間に立つ。近頃朝廷から遣いが来てな、私を迎えたいという。滑稽と思わぬか」


「…お前を葛の葉の子と知っていてのことか?」


「恐らくな。近頃父母が遺してくれた平安町の屋敷を改装した。私は今後そこで独りで暮らしてゆくつもりだ。まあ式神を使う故正式には独り、ではないが」


「山姫にはもう言ったのか?」


晴明の眉がぴくりと上がった。

山姫の話になると晴明が必ず関心を示すことを知っている主さまはまた空に煙を吐くと、肩で笑った。


「何故山姫の話が出るのだ?」


「お前の母も同然だったろう?衣食住…全てあいつが面倒を見た。山姫が居なければお前はとっくの昔に死んでいたか、俺がここから追い出していたかのどちらかだったからな」


「私は山姫を母と思ったことはない。いつだって山姫は“女”だった」


…堂々としすぎる宣言に顔を赤らめたのは、主さまの方だ。

最近は…いや、ここに連れてきた時から頭の回転の良い子だと思っていたし、童子の頃からこちらが本気で怒らぬ程度の悪戯を繰り返してきた晴明。

始終山姫の傍に居たのでてっきり母のように思っていたと勘違いしていたが…


「ほう…いつか山姫を妻にしたい、と?」


「十六夜…そなたが山姫を解放せぬ限りは私の妻にはできぬ。それにここに居ては私はいっかな童子扱いだ。故にここを出る。そなたとはこれから敵対関係になるやも知れぬな」


“十六夜”というのは主さまの真実の名。

百鬼と同等、もしくはそれを上回る力をつけたために主さまが特別にその名を明かした。


「敵対関係、か。俺は別に朝廷に興味はない。あちらがこちらに乗り込んで来ない限りは手出しはしない。それが悠久の時からの決まり事だからな」


「私は機会を待つ。朝廷を完膚なきまでに壊した後母を救い、なおかつ山姫の気を引いてじっくりと包囲網を狭めるとしよう」


「…お前は恐ろしい男だな」


主さまと晴明は、屋敷内を忙しく走り回る山姫に瞳を遣った。

女の妖の中では特別美しく、だが最近“男を食っていない”とぼやくことがあった。


「お前が山姫の食い物になるのか?」


「いや、山姫が私の食い物になるのだ。十六夜…そなたは色事を全く分かっておらぬな」


…逆にやり込められた主さまは黙り込み、また空に煙を吐いた。
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