主さまの気まぐれ-百鬼夜行の王-【短編集】※次作鋭意考案中※
…味噌汁のいい匂いがした。


もう山姫が来たのかと思った晴明は床から出ずに寝乱れた髪のまま枕を抱いて丸くなった。


――息吹が嫁に行ってから1ケ月。

最初はすぐに慣れると思っていた。

息吹の代わりに山姫が屋敷へ来るようになって寂しさは幾許か解消されたが、心に空いた穴は隠しようがなかった。


「さて…そろそろ起きるか」


息吹が居た頃はあまり寝乱れた姿など見せたことはなかったが、それは父らしくあろうとした努力の結果。

今この姿を見られても咎める者も居なければ、山姫から笑われるだけなので、髪も結ばず乱れた白い浴衣姿のままいつもの日課を行うために部屋を出た。


それは主を失った息吹の部屋を訪れるため。

時々寝坊をしてしまう息吹をからかったり、部屋で式神と遊んでいる姿を休憩がてら見に行って、息吹に笑いかけてもらうだけで疲れが消し飛んだこと――


「…ふっ、あの子が死んだわけではあるまいし」


襖を閉めた晴明はいつものように山姫をからかって遊ぼうと思い、台所へと近付いた。


だが、かかった声は…山姫のものではなかった。



「あ、父様っ、今朝餉の準備をしてるからもうちょっと待っててねっ」


「……息吹…?」



幻でも見ているのかと思って思わず目を擦った晴明は、たすき掛けをして忙しなくちょこまかと動いている息吹を見つめてまた呟いた。


「…幻か?」


「え、何が?もうっ、父様っ、お部屋が汚かったよ、掃除してなかったでしょっ?母様はお掃除してくれなかったの?」


「いや…山姫は私の仕事部屋には入らない。それより息吹…どうしたんだい?まさか十六夜と喧嘩を…」


「ううん、違うの。…父様の顔が見たくなって我が儘言って帰って来ちゃった。後で掃除をするから要るものと要らないものを分けてね。あと…」


おたまを置いた息吹はまだ呆然として突っ立っている晴明の腰に抱き着くと、頬を擦りつけた。


「父様ただいま。今日は夜までずっと居させてね。ずっと離れないから」


「…息吹…」


「あと髪も浴衣も乱れててみっともないよ!父様にはいつもかっこよくいてもらいたいのっ。はい、お盆持って。一緒に縁側に座って食べよ」


「ああ、そうだね。じゃあ久々に愛娘の塩辛い味噌汁を頂こう」


「もおっ!ひどい!」


…いつもの他愛無い会話が本当に嬉しくて、胸が熱くなった晴明はそれを隠すように襟元を正して背筋を伸ばすと、息吹と一緒に縁側に座って微笑み合った。

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