バージニティVirginity
加集はトロントから、二枚の絵葉書を送ってくれた。

最初にくれた絵葉書は、加集がトロントに渡った年の秋に送られてきた。

秋のカナダの美しい街並みの写真がプリントされている。

加集の住所は、トロントにある彼の所属する空手道場になっていた。
その横に

『トロントにいる先輩の家に居候してます。』
と横書きに加集の乱雑な字が並んでいた



最後となった二枚目の絵葉書は、ナイアガラの滝の俯瞰写真だ。

空手大会で帰国していた加集が、トロントに戻ってからしばらくして、送られて来たものだった。


玲は、その葉書に書かれた加集の字を声に出して読んでみる。


「DEAR玲ちゃん、元気ですか?
日本では、どうもありがとう。
こないだやっとナイアガラフォール観に行きました。
いつかカナダに来たら、案内します。
いつでも連絡下さい。
先日、先輩の家から出て、部屋を借りました。やっと静かに暮らせそうです。
押忍。」


この二枚目の絵葉書に玲は返事を出さなかった。

トロントにいる加集は、玲にとって遠い存在になってしまった。

いつしか、玲は男たちとの恋愛ゲームに明け暮れるようになり、加集のことを忘れてしまっていた。


加集からの絵葉書はこれ以降、こなかった。






駅の改札へと続く地下道は人で溢れかえっていた。

金曜日の夜。

10時近くとあって酔客が多い。

スーツ姿のサラリーマン、学生のグループがあちこちに群れをなしている。


最近はこんな場所でもあちこちに店ができた。

横文字の看板のフレッシュジュースの店、焼きたてのワッフルを売りにする喫茶室。

どれも入ってみたいと思っていたけれど、主婦の玲は佳孝が家で待っていると思うと、横目で見ながら足早に通り過ぎるだけだった。

遅番の時は、夕飯を用意してから出勤した。
佳孝はだいたい九時頃帰ってくる。

まず風呂に入り、ビールを飲みながら、おかずを摘まんでいるのところに、玲が帰宅するのが常だった。

帰っても待つ人のいない今、いくらでも店に寄ることができるはずなのに、玲は以前と同じように足早に過ぎ去る。


(パート、増やそうかな……)

そんな考えが頭に浮かぶ。
1人で家にいるのが辛すぎた。


切符売り場の前を通り過ぎた時、とんとん、と誰かに肩を叩かれた。

玲は振り向いた。


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