バージニティVirginity
エレベーターは使わず、階段を上がった。
建物内は古く、ほの暗く、懐かしいような不思議な臭いがした。
加集も昔、この階段を登り、道場に通ったのだろう。
そう思うと感慨深かった。
二階に上がると、手前にはカウンターがあり、奥には畳敷きの部屋が広がっていた。
壁は一部が鏡張りになっている。
(バレエ教室みたい…)
玲は思う。
人の気配はなく、ひっそりとしずまりかえっていた。
電気は付いておらず、磨りガラスの窓からの陽の光だけで、道場の中は薄暗い。
玲は辺りを見回す。
カウンター近くの壁には様々な張り紙がしてあった。
昇段テストのお知らせ。
大会での結果の発表……
老若男女、空手道に勤しんでいることが分かる。
それらを眺めながら、佇んでいると、ふいにカウンターの横の扉が開き、白いシャツに赤いトレパン姿の長身の若い男が勢いよく飛び出してきた。
「あ。見学希望ですか?」
男は玲を見ると立ち止まり、訊いた。
玲は違います…と言いかけて、
「あっ!」と大声を上げた。
その男の短髪を逆立てるような髪型と奥二重の目元に見覚えがあった。
「あなた、あの時、横浜駅で私を助けてくれましたよね⁈」
男は一瞬きょとん、とした顔をしていたが、すぐに目を大きく見開き、玲を指差して言った。
「ああ!あのオタクみたいなやつに絡まれてた〜…」
「あの時は本当にどうもありがとう。
すごく困っていたの。あなたがいなかったら、どうなってたか分からないわ」
玲は深々と頭を下げる。
「いいえ。俺、そんなすごいことしてないです」
男は照れながら笑い、玲に倣ってお辞儀をした。
「なんで俺がここにいるって、分かったんですか?」
「それは偶然なんです。私、人を探していて」
「人?」
男は笑顔から一転、訝しげな顔をした。
「加集光正さん、ご存知じゃないですか?以前、加集さん、この道場で稽古されてたってきいたんですけど。私、昔、加集さんにすごく良くしてもらったの」
「加集さん……ですか」
男の表情が強ばり、返事に窮するように間が空いた。