樹海を泳ぐイルカ
リビングの扉をあけると焼きたてのトーストの香りがした。
母さんがテーブルに置かれた皿に目玉焼きをのせる。
忙しそうに白い皿を彩っていく母さんの顔は、いつ見ても満足そうだ。
僕はそんな母さんの顔をじっと見つめていた。
「おはよう彼方」
僕の存在に気付いた母さんが柔らかく微笑んだ。
「おはよう」
僕は席に座り焼きたてのトーストにバターを塗る。熱々のトーストのうえでバターはじんわり溶けて甘い香りを残した。
「彼方、もうちょっと早く起きられないの?夜更かしはしないでっていつも言ってるでしょう?」
母さんが正面の席に落ち着いて僕の顔をまじまじと見つめながら話す。
「わかってるよ。今度から気をつける」
僕はそういって紅茶をすすった。
「そう、ならいいの」
母さんがにっこり微笑む。
ご近所から美人ママと評されている母さんの顔は、息子の僕からみても年の割りにシワが少ない。
斜め近所の独身中年サラリーマンに言い寄られていることも、お隣の浪人生に憧れられていることも僕はひそかに知っていた。
そして彼女がそれをやんわりした笑顔で上手にかわしていることも。