W-アイ ~君が一番に見たいもの~ 【完】
オッサンは言った。
「俺はさあ、お袋の顔が見てえんだ。もう10年近くも会ってねえからな」
「お袋……?」
俺にはその言葉があまりにも想定外で、オッサンには不釣り合いに感じた。
自称、10回戦ボーイだかなんだか知らねえが、網膜剥離という爆弾のせいで、夢半ばでボクシングを捨てることになったオッサン。
『まあ、俺はよお、ボクサーじゃなくても、何をやらせても一流だからよ』なんて、豪語しまくった、あの、初めて話した夜。
――それがなんだよ…お袋だって?ただのハンパなオッサンじゃねえか。
俺は、無性につまらなかった。
カーテンの向こうの声が静かに響く。
「なあ、坊主はさ、目を瞑っても、お袋さんの顔が思い浮かぶんだろ?」
「当たり前だよ。特に見たくもねえ顔だけど、毎日突き合わせてんだからな」
「やっぱ、そうだよな」
「なんだよ」
「いや、俺さ、まったくお袋の顔が思い浮かばねえんだ。あの日、どんな顔して俺を見送ってくれたのかも忘れちまったようだ」
情けねえ。
「グダグダ言ってねえで、そのお袋さんとやらに連絡してみりゃいいじゃねえか」
「………。まあ、それは俺からはできねえな……奇跡でも起こらなきゃ、お袋の耳に届くことはねえだろうな」
少し間を置いてから届いたそのオッサンの声は、パタパタと廊下を歩くナースの足音にかき消されていた。