竜胆姉弟江戸幕末奇譚
少女があたふたしていると、女は少女の前にしゃがみこんだ。
「娘よ、名はなんという?」
にっこりと美しい顔で微笑まれた少女は、少しどぎまぎして答えた。
「ひっ…ひめ!ひめっていいますっ!」
「ひめ…か。可愛らしい名前だな」
女はそう言って、ひめの頭を撫でた。
「可愛い子。ひめはこんなところでこんな夜中に、一人で何をしていたんだ?」
「え…あ、今日の稽古が終わって…なにして遊ぼうか考えてたら…山に鹿さんがいて…追いかけちゃったんです…。ホントは…じい様に山の中で遊んじゃダメって言いつけられてたのに…」
ひめはなんだか、言っていて自分が恥ずかしくなってきてしまった。
(ほんとわたしばかだなあ…。山の中が危険なことなんて普通に考えればわかるのに…)
「……ぶっ!」
「…え?」
「あっはははははは!」
すると、女は突然笑い出した。
(わっ…笑われてるぅ!?)
ひとりショックを受けるひめを前に、女は笑いすぎてたまった涙を指で拭った。
「あぁ、悪い悪い。いやなに、ひめがあんまりにもわたしの小さい頃に似ていてな。ふふ…その冒険したいという幼心、よぉく分かるぞひめよ」
「……へ」
「ところで稽古とは、寺子屋か?琴か?」
「え…て、てらこや?ち…違います。わたしが稽古しているのは『剣術』です」
「…剣術?」
さっきまで笑顔だった表情が、急に、真面目なものへと変わった。