執事ちゃんの恋
小一時間すぎたころだろうか。
ヒヨリがいる執務室のドアをノックする音に気がついた。
かなり集中して仕事をしていたのだろう。時計を見て、改めてびっくりした。
返事をしないことに痺れをきらしたのか。
さきほどより強くノックされた。
「……いったい誰?」
小さく呟きながら、ヒヨリは椅子から立ち上がる。
ヒヨリが使っている執務室に立ち寄る人間は、ほとんどいない。人払いをしてあるからだ。
もしこの執務室に人が来たとしたら、栄西かコウのどちらかぐらいだ。しかし、栄西は今は仕事で日本にはいない。そしてコウは学校に行っているはずだ。
となれば、いったい誰だろうか。
ヒヨリは首を傾げながら「どうぞ」と扉の向こうの人物に声をかけた。
すると、清掃スタッフの身なりをした人物が部屋の中に入ってきた。
扉を閉めたあと、キャップ帽を徐に取る。
さらさらと柔らかな黒髪が零れ落ち、マスクを取り外して、その人物は屈託なく笑った。
「よっ。ヒヨリ」
「ヒナタかぁ……おどかさないでよ」
突然の訪問客は、ヒヨリの双子の兄であるヒナタだった。それを確認して安堵したあと、ヒヨリは椅子に力なく座った。
顔色の冴えないヒヨリを見て、「やっぱりガセネタじゃなかったか」とヒナタは顔を歪めた。
「ヒヨリに縁談があがったって小耳に挟んだんだけど。それも村岡家が絡んでいそうっていうね」
心配そうにヒヨリの顔を覗き込むヒナタに、彼女はクスッと小さく笑い、肩を竦めた。
「相変わらずかくれんぼが得意な上に、聞き耳も上手ね」
「じゃあ……」
「ってか、当事者である私が、つい一時間前に聞いたことなのに、すでにヒナタが知っていることのほうがすごいわ」
「そりゃあ伊達に親や主人を相手とってかくれんぼしてないからね。というか、やっぱり本当だったんだね。ガセネタであることを願っていたんだけど」
「……」
「村岡美沙子が、ヒヨリの縁談のお膳立てをするとは……やられたね」
フッと力なく笑うヒナタに、ヒヨリも同調した。
天井を仰いだあと、「ヒナタ」と相棒に声をかけた。