執事ちゃんの恋
思わず持っていた手鏡を落としてしまった。
幸い鏡が割れてしまうことはなかったが、それを拾うこともできないぐらいには動揺をしていた。
後ろを振り向き、ヨネをまっすぐに対峙する。
ヨネの瞳は、すべてを物語っていた。
「ヒヨリ様のことは、なんでもわかっております」
悲しそうに瞳を伏せたヨネを見て、ヒヨリは小さく微笑んだ。
たぶん、実母より一緒にいたヨネだ。
ヒナタと同じで、きっとヒヨリの健への気持ちなどわかっていたのだろう。
そして……昨夜になにがあったのか、も。
「キレイでございますよ、ヒヨリ様」
「ちょ、ちょっと。今からヒナタになるのに、キレイだなんて言葉は合わないわよ」
苦笑してヨネを窘めると、ヨネは膝立ちをしてヒヨリの手をギュッと握り締める。
シワクチャで、小さくて……でも、温かくて、なにより形容することができないほど色んなものを知っている手。
そのヨネの手が、小刻みに震えていた。
「……悲しゅうございますね」
ヨネは何もかも知っていて、そう言ったのだろう。
健に想いをつげ、抱きしめてもらったとしても……ヒヨリを待っている現実は厳しいものだ。
ヒナタと偽り、文月家の令嬢の執事になることも。
ヒヨリのまま、霧島家に残り婿養子をもらうことも。
どちらも、健と結ばれることはない。
「悲しくなんてないよ、ヨネ」
「ヒヨリ、様?」
ヒヨリは深く頷いた。
――― 大丈夫。
ギュッと昨夜健に愛された身体を愛おしく触れた。
この想いと、思い出があれば……悲しくなんてない。
文月家に行き、執事となれば……。
ずっとずっと、健のことだけを好きでいられるから。
ずっとずっと、この心も身体も健せんせのものでいられるから。
――― だから、大丈夫。私は頑張れる。
ヨネの手をギュッと握り返しながら、ヒヨリは自分にそう言い聞かせた。
「じゃあ、行くね」
「ヒヨリさま!」
元気でずっといてね、そう耳元で囁くとシャンと背筋を伸ばしヨネは姿勢を正した。
「いってらっしゃいませ、ヒナタさま」
「……ヨネ」
「霧島家の名を汚すことなく、立派にお勤めください」
そこには、霧島本家の使用人頭としてのプライドが見え隠れしていた。
厳しさの中にもある優しさ。
ヒヨリはいつもヨネのそんな人柄に包まれていた。
感謝の気持ちを込めて、ヨネに抱きついた。
「ありがとう。いってきます」