執事ちゃんの恋
「ヒヨリです」
襖の向こうに声をかけると、すぐさま「どうぞ」という声が聞こえた。
その声にまずは驚いた。
慌てて襖を開ければ、やはりその声の主は文月家当主の栄西だったのだ。
栄西に促されるまま席に腰を下ろしたあと、驚きを隠さず口にした。
「まさか……栄西さまが、お仲人を?」
ヒヨリの驚きの表情がおかしかったのか。
栄西はクスクスと声を出して笑った。
「そうだよ、ヒヨリ。霧島の大事な一人娘。それに霧島家は私にとっても大事すぎるほどの家。その家をバックアップするのは当然のことだろう?」
にこやかに、それもとても嬉しそうに言う栄西に、ヒヨリはたじろいだ。
「……あ、ありがとう存じます」
正座をして頭を下げるヒヨリを見て、栄西は満足げに何度も頷く。
その様子を見てヒヨリは「もう後戻りはできない」と悟る。
わかっていたことだし、この場に来る前に覚悟したことなのに、まだあがこうとしていた自分に呆れた。
ヒヨリがこっそりと自嘲気味に笑うと、栄西は優し気に瞳を細めた。
「今日は大事な席だが、霧島……ヒヨリの父の宗徳は仕事で海外だなんて残念だな」
「は、はい」
コクコクとヒヨリが頷くと、栄西は慈愛深い笑みを浮かべた。
「宗徳の代わりに私が親役と仲人役をするからな」
「……ありがとうございます」
深々と頭を下げたヒヨリに栄西は嬉しそうに何度も「うん、うん」と頷いた。
そんな栄西の様子を見ながら、自分の父親の顔を思い浮かべる。
確かに父は海外のほうに仕事に行っている。
だが、本当はそれだけが今日この席にいない理由ではないはずだ。
きっと宗徳は逃げたのだろうと思う。
娘であるヒヨリがこの婚儀に乗り気ではないことはわかっている。
そんな娘の無言の視線を一身に浴びる自信がなかったのではないだろうか。