執事ちゃんの恋





「健先生のピンチだ。このままお前が黙ったままだと、健先生は村岡美紗子と結婚しなくてはならなくなる」


 健の名前を聞いて、ヒヨリは掴んでいた胸倉を力なく離した。
 苦しそうに顔を歪めて、うつむき加減で呟く。


「……でも、健せんせは美紗子さんのことを」


 今にも泣き出してしまいそうなヒヨリを見て、ヒナタは大きくため息を零す。


「お前、本気でそんなこと思っているのか?」

「ヒナタ?」


 呆れたように厳しい視線を向けるヒナタに、ヒヨリはたじろいだ。


「お前はこれからも逃げてばかりのつもりか」

「ヒナタ……」

「健せんせの気持ちを聞くことを恐れて、ぶつかることもしない」

「……」

「それは本当の霧島ヒヨリの姿じゃないだろう」

「……」


 ポンポンとヒヨリの背中に優しく触れる。
 ヒナタはいつもそうだ。
 ヒヨリを慰めるときは、決まって背中を優しく叩く。
 その心地よいリズムとぬくもりに、ヒヨリはいつも心が解れる気がしていた。


「霧島ヒヨリは、自分より大きくて強い相手にも逃げることもなく戦う女だっただろう? 留学先のイギリスでも、俺より断然強かった。そんなヒヨリなら、なんでもぶち壊せる」

「ヒナタ……」

「決まった未来だってぶち壊してみろよ。お前ならできるよ、ヒヨリ」

「ヒナタぁ」


 鼻の奥がツンと痛かった。
 今まで我慢してきたものが、全部流れ落ちていく。
 泣き出したヒヨリの腕を掴んで、ヒナタは真剣な顔をした。


「村岡家は、やっぱり健先生と結婚して縁を結び、文月家をのっとるつもりらしい」

「え!?」

「今、それを救うことができるのは、ヒヨリしかいない」

「私……?」


 ヒヨリが自分を指さして戸惑う様子を見て、ヒナタはニッと意味ありげに笑った。
 ポンポンと、ゆったりとしたリズムでヒヨリの背中に触れた。


「健先生が耳を貸す人間、それはこの世でヒヨリしかいない」

「ヒナタ」



 本当にそう思う?

 ヒヨリの瞳がそう問いかけると、ヒナタは深く頷いた。
 昔からお互いの顔を見ていれば気持ちがわかった二人だったが、今も言葉にしなくてもお互いの考えは手に取るようにわかる。
 ヒナタは、もう一度力強く頷いた。


「断言してやる、健先生を救えるのはお前しかいない」







 


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