幸せまでの距離

震えるカナデとは対照的に、トウマは悠 然と構えていた。

「この世界は、才能や実力だけじゃ、生 き残っていけないの。

『枕営業』って、聞いたことない?」

「知らない。何それ……。

みんな、実力で有名になってるんじゃな いの?」

「全部が全部そうとは決めつけられない けど、たいがいはそう。

枕やってんのは女だけじゃない。

男だって、知名度上げるために陰でいろ いろやってる。

たいした演技力もないクセに頻繁に出演 してる女優とか俳優は、たいがい裏で何 かして、偉い人間のご機嫌取りをしてる と思っていい。


あの人は、CM担当してるプロデュー サーの娘でさ。

あの人と寝て満足させることが出来たか ら、俺はCMの仕事を取れたんだよ。

『それだけはしたくない』っていうプラ イド捨てたら、ずいぶん楽になった。


俺はこれからも、そうやってこの世界で 生きてく。

世の中に才能を認めてもらうため。

夢を叶えるためのキッカケがつかめるな ら、何だってやる。

セックスで女を感じさせるなんて、台本 の中の役を演じるより楽だしな。


メグルちゃんとダメになったんだ……。

俺にはもう、怖いものや失うものなんて 何もない。

お前のことだって、もう、必要ない。

じゃあな」

エレベーターを抜け出し颯爽と歩き去る トウマ。

カナデの視界を占める1階のフロアに、 彼の背中が歪んで映る。

全身の力が抜け、彼女はその場に座り込 んだ。

「私はもう、用済みってこと……?」


次の乗客がやって来るまで、カナデはエレベーター の中から動けなかった。


トウマはもう、あの頃のトウマではなく なってしまった。

いや。はじめから『夢を追う一途な青 年』ではなかったのかもしれない。

憧れの舞台女優・翔子について語る彼の 輝いた瞳すら、偽りだったのだろうか。


カナデは、崖の底に突き落とされたよう な気持ちになった。
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