HAPPY CLOVER 2-ないしょの関係-
#05 女子の本音をぶちまけられたって困ります。(side舞)
清水くんがモテるということは知っていた。高校に入学したとき既に彼は超有名人だったし、同じクラスだからその容姿は嫌でも目に入る。それなりに長身でしかもこんな整った顔立ちの男子であれば、モテないほうがおかしいとさすがの私も思ったのだ。
でもそれはテレビで人気アイドルを眺めて「かっこいいな」と思うのと同じ気持ちで、彼が女の子にどれだけモテようと私自身には何の関係もないことだった。
そう、ほんの少し前までは――。
しかし立場が変わった今、その事実を目の当たりにして私はかなり複雑な気持ちになっている。
例えば西さんのあからさまに私を敵対視した態度。彼女とはこれまでほとんど話をしたことがなかったが、清水くんと話をしていると彼女の突き刺さるような視線を感じる。いくら鈍感な私でもそれがどういう意味かはわかる。
西さんはクラスメイトだから、私だって全然想定していなかったわけではない。田中くんの口ぶりからして、今日の女子メンバーの中に清水くんを好きな人がいるのだと勘づいてはいた。
でも、あれは……なんだろう?
ボーリング場に着いて、まずトイレに行った私は用を済ませて出た途端、その現場を目にしたのだ。
清水くんの隣に、一応彼女である私なんかよりも親しげにぴったりと寄り添っている見たことのないお姉さん……。最初は知り合いなのかと思ってしまった。だって清水くんは普段と寸分も違わぬ様子なんだもの。
でもどうやら違ったみたいで、最後にお姉さんは清水くんのシャツの胸ポケットに何かを押し込んで去って行った。なんだろう、アレ。電話番号とかメールアドレスとか?
――清水暖人……ヤツは絶対アヤシイ。
私が傍にいなければ知らないお姉さんに密着されても平気、いやむしろ喜んでいたりするんじゃないか、と思ってしまう。それに私のことをかわいいとか言っておきながら、実はああいう派手なお姉さんが好きなのか、とか。他にも電話とかメールしてる女子がいるんじゃないか、とか。
――ぐわあああ!
私は何を考えているんだろう。バカバカしい。しかも驚きのあまり、ケバ目のお姉さんが立ち去るまでトイレの入り口でこっそりと一部始終を盗み見ていた私の姿は、傍から見たらただの変な人じゃないか!?
嫌だ。アイツのせいで自分が変な人になってしまうのは、絶対に嫌だ。
もやもやする気持ちをねじ伏せ、何事もなかったようにトイレから出た。さも「今出てきました」と言わんばかりにハンカチで手を拭いたりしながら。
清水くんのほうも、ほんの一分前までお姉さんが傍にいた気配など露ほども見せない。この男も相当面の皮が厚いな、と自分のことは棚に上げて感心する。それからは彼のことをあまり考えないようにしてボーリングに専念した。
ところが、二ゲーム目に入ったあたりから西さん以外にもこちらに強烈な視線を送ってくる人がいることに気がついた。隣のレーンのおば様だ。三人組のおば様チームはウェアからして気合の入り方が違う。
中でもリーダー格のおば様が腕を腰に当てた仁王立ちでこっちを監視し始めたからたまらない。
正直に言って私はボーリングが下手だ。それなのにプロ級のおば様の監視下で投げることになってしまい、緊張で身体はガチガチになってしまう。ボールを投げた瞬間、手首がグキッと嫌な音を立てた。
――はあぁ……。
やっぱりこんなところに来るんじゃなかった。
西さんも嫌な感じな上、なぜか菅原くんまで感じが悪い。二人ともチームが別なのがせめてもの救いだが、菅原くんのいかにもカッコつけた投球フォームとか、笑えない話題振りとか、見ていると肌が粟立ちそうだ。黙って近くにいるだけなのに、私は激しく疲労を感じていた。
早く終わらないかな、と思ったとき、隣に座っていた清水くんが思い出したように私を見た。男の人というのは勝負事になると熱くなってしまうらしい。しかも嫌味なことに清水くんはボーリングも大の得意だった。
まぁ、このメンバーの中で一番冷静なのはコイツだろう、と思う。私を除けば、の話だが。
それで隣のおば様のことと手首が痛いことを話したのだ。本当はあまり口を利きたくない気分だったんだけどね。
私の番が回ってきたので、清水くんのアドバイスに従って手首に力を入れず真っ直ぐに投げることをイメージした。
――力を入れない。真っ直ぐ。力を入れない。真っ直ぐ。
頭の中で呪文のように繰り返しながら助走を始め、ボールを持った手を後ろに引いたその瞬間……。
ボールがすぽっと指から抜け落ちた。
――ウソ!?
振り返った私の目には、さほど近くに落ちたわけでもないのに、怖がって大げさに避けるおば様の姿が映る。そのしぐさは仁王立ちの勇ましいポーズからは想像もつかないようなわざとらしい可憐さがあった。
――いやいやいや、そんなに避けなくていいし?
すっ飛ばした張本人だというのに、私はそのおば様の姿を見た瞬間罪の意識も忘れ、心の中でツッコんでしまった。
それがおば様に伝わったのだろうか。ブツッと彼女の堪忍袋の緒が切れた音が聞こえた気がした。
「ちょっと何やってんのよ!? 危ないじゃない! どういうつもり!?」
「ごめんなさい」
どうもこうもない。手首に力を入れないようにと気をつけていたら、力加減を間違えたのか指が滑ったのだ。これは危険行為だけれども、わざとやったわけではない。
おば様は今まで堰き止めていた我慢ならない思い丈を一気にぶちまける。私はひたすら頭を下げて、とにかくボールを拾いに行った。
でも、と彼女の演説を聞きながら思う。
――あまりヒステリックに叫ぶと、正論を述べていても快く受け入れてもらえませんよ?
実は年配の女性教師にも同じことを思うことがある。その先生は普段から不機嫌そうな顔で挨拶をしてもニコリともしない。まぁ、私の挨拶も愛想がないから仕方がないのかもしれないけれども。
――私も気をつけないとなぁ……。
こんなときに思うことではないのだけど、私は小さくなってボールを拾いながら自分の態度を反省していた。
西さんや菅原くんを「感じ悪い」と思ったけど、考えてみれば普段の私はその何十倍も「感じ悪い」のかもしれない。今まで他人に無関心を通してきたのはただの自分のエゴでしかないのだ。
――あれ、私……?
そういえば、どうして私は友達と交わらない生活を好むようになったんだろう。いつから? 昔は違ったような気がする。
何か変な感じがした。自分が自分でないような……?
しゃがんだまま首を傾げた私の隣に誰かが立った。見るまでもなく清水くんだ。それでも私は足から順に彼の顔までを見上げる。下から見ても本当に端整な顔立ちだった。
ほんの一瞬、彼は私を見下ろしてクスッと笑う。それから表情を引き締めて口を開いた。
「お騒がせして申し訳ありませんでした。お詫びにもなりませんが、よかったらこれ使ってください」
彼の真剣で優しい声がその場の空気を弛緩させる。思わず私はぼーっと見とれてしまった。
清水くんはおば様の目の前まで歩いていって、ほんの少し首を傾げるとニコッと笑った。悪魔が微笑んだのだ。おば様は目をパチクリとさせ、一瞬ためらった後、差し出された紙切れをおそるおそる受け取った。
――あれって、さっきのお姉さんがポケットに入れていった紙?
硬直したままその紙片を眺めていたおば様は、清水くんの顔と手にしている紙を見比べる。
「ど、どうもありがとう」
おば様の激情は嘘のように消え失せてしまい、今はただイケメンを目の前にして頬を赤く染める一人の乙女になっていた。
「いいえ、こちらこそご迷惑をお掛けしてすみませんでした」
最後にまたあの悪魔の微笑みを見せ、彼は堂々とこちらへ戻ってくる。立ち上がった私の背中を軽く押して、再びレーンに向かう私に言った。
「舞、手首の角度が甘いんだ。ボールを片手で下から支えるように持って」
ふむふむ。……ああ、なるほど。
右手の上にボールを乗せる。さっきおば様のほうへぶっ飛ばしてしまったのは、ちゃんと手でボールを支えていなかったのだ。
――……って、もしかして私を助けてくれたの?
助走を始めた私の脳裏に突然その考えがひらめいた。今度は真っ直ぐ前に転がすことができたが、意識が逸れたのが原因なのか、途中からボールも横に逸れて溝に転落……。
結局、清水くんはずるい。頭も良くて運動神経も良くて、背も高くて顔もカッコいいなんて反則だと思う。神様は彼一人にいろいろ与えすぎだ。
それにあの笑顔を見せられたら、ほとんどの女性は彼に全てを許してしまうんじゃないかと思う。あの背後で仁王立ちしていたおば様だって、今はもう恋する少女みたいに清水くんのことばかり見つめているのだから。
――ぐわあああ!
考えるのはやめよう。だんだん自分が嫌な人間になってしまう。
そうだ、ヤツは悪魔だった。悪魔のことを羨む人はいない。私、どうかしてました。
何とか立ち直った私は、清水くんに買ってもらったジュースを飲んだ。しかし、どうしてグレープフルーツジュースなのかはよくわからない。オレンジとかアップルとかオーソドックスな選択肢もあるのに、と思う。
「グレープフルーツ好きなの?」
「好きだよ。甘くてちょっと苦いところとか、誰かに似てるなって思って」
さっきまで派手に盛り上がっていた向かい側の菅原・西チームも急におとなしくなり、清水くんと話す声も内緒話のようにひそひそとした小声だ。それをいいことにヤツはまた変なことを言い出した。
「……誰か?」
「うん。舞に」
「どこが?」
「だから、甘くてちょっと苦い」
「意味がわかりません」
「それは教えられないな」
珍しく彼は自嘲気味に笑う。苦いというのはわかるけど、私のどこが甘いのだろう? 彼の考えていることはさっぱりわからない。それが原因なのか胸の中のもやもやが膨張してきて、大声でわめきたいような気分になった。
そこにタイミングよくこんな声が聞こえてくる。
「次、カラオケ行かない?」
菅原くんが現代の若者らしく余計な言葉をできる限り省いて提案してきた。その得意げな言い方からすると、菅原くんは歌に自信があるようだ。私としては彼の歌声はどうでもいいが、清水くんの歌うところは見てみたい。
それに私もカラオケはボーリングほど苦手ではない。溜まったストレスを発散してやるぞ、と密かにやる気十分だった。
「カラオケねぇ……」
隣からため息混じりの声がする。横を見ると清水くんが気だるげに長い足を投げ出してのけぞっていた。
「もしかして音痴とか?」
一応小声で訊いてみる。言いながらこみ上げてくる笑いを堪えるのに苦労した。これが彼の弱点だとしたら絶対に見たいし、聴きたい。
別な意味で私は嫌な人間だな、と思っていると、突然身を起こした清水くんが険しい顔で私の耳元に囁いた。
「誰が音痴だって?」
――ひぃ!
低い声に総毛だつ。失言だったと思う私の耳に、田中くんの陽気な声が聞こえてきた。
「じゃあ、カラオケに移動しまーす!」
ボーリングを終えた一同はぞろぞろと大移動し始めた。
でもそれはテレビで人気アイドルを眺めて「かっこいいな」と思うのと同じ気持ちで、彼が女の子にどれだけモテようと私自身には何の関係もないことだった。
そう、ほんの少し前までは――。
しかし立場が変わった今、その事実を目の当たりにして私はかなり複雑な気持ちになっている。
例えば西さんのあからさまに私を敵対視した態度。彼女とはこれまでほとんど話をしたことがなかったが、清水くんと話をしていると彼女の突き刺さるような視線を感じる。いくら鈍感な私でもそれがどういう意味かはわかる。
西さんはクラスメイトだから、私だって全然想定していなかったわけではない。田中くんの口ぶりからして、今日の女子メンバーの中に清水くんを好きな人がいるのだと勘づいてはいた。
でも、あれは……なんだろう?
ボーリング場に着いて、まずトイレに行った私は用を済ませて出た途端、その現場を目にしたのだ。
清水くんの隣に、一応彼女である私なんかよりも親しげにぴったりと寄り添っている見たことのないお姉さん……。最初は知り合いなのかと思ってしまった。だって清水くんは普段と寸分も違わぬ様子なんだもの。
でもどうやら違ったみたいで、最後にお姉さんは清水くんのシャツの胸ポケットに何かを押し込んで去って行った。なんだろう、アレ。電話番号とかメールアドレスとか?
――清水暖人……ヤツは絶対アヤシイ。
私が傍にいなければ知らないお姉さんに密着されても平気、いやむしろ喜んでいたりするんじゃないか、と思ってしまう。それに私のことをかわいいとか言っておきながら、実はああいう派手なお姉さんが好きなのか、とか。他にも電話とかメールしてる女子がいるんじゃないか、とか。
――ぐわあああ!
私は何を考えているんだろう。バカバカしい。しかも驚きのあまり、ケバ目のお姉さんが立ち去るまでトイレの入り口でこっそりと一部始終を盗み見ていた私の姿は、傍から見たらただの変な人じゃないか!?
嫌だ。アイツのせいで自分が変な人になってしまうのは、絶対に嫌だ。
もやもやする気持ちをねじ伏せ、何事もなかったようにトイレから出た。さも「今出てきました」と言わんばかりにハンカチで手を拭いたりしながら。
清水くんのほうも、ほんの一分前までお姉さんが傍にいた気配など露ほども見せない。この男も相当面の皮が厚いな、と自分のことは棚に上げて感心する。それからは彼のことをあまり考えないようにしてボーリングに専念した。
ところが、二ゲーム目に入ったあたりから西さん以外にもこちらに強烈な視線を送ってくる人がいることに気がついた。隣のレーンのおば様だ。三人組のおば様チームはウェアからして気合の入り方が違う。
中でもリーダー格のおば様が腕を腰に当てた仁王立ちでこっちを監視し始めたからたまらない。
正直に言って私はボーリングが下手だ。それなのにプロ級のおば様の監視下で投げることになってしまい、緊張で身体はガチガチになってしまう。ボールを投げた瞬間、手首がグキッと嫌な音を立てた。
――はあぁ……。
やっぱりこんなところに来るんじゃなかった。
西さんも嫌な感じな上、なぜか菅原くんまで感じが悪い。二人ともチームが別なのがせめてもの救いだが、菅原くんのいかにもカッコつけた投球フォームとか、笑えない話題振りとか、見ていると肌が粟立ちそうだ。黙って近くにいるだけなのに、私は激しく疲労を感じていた。
早く終わらないかな、と思ったとき、隣に座っていた清水くんが思い出したように私を見た。男の人というのは勝負事になると熱くなってしまうらしい。しかも嫌味なことに清水くんはボーリングも大の得意だった。
まぁ、このメンバーの中で一番冷静なのはコイツだろう、と思う。私を除けば、の話だが。
それで隣のおば様のことと手首が痛いことを話したのだ。本当はあまり口を利きたくない気分だったんだけどね。
私の番が回ってきたので、清水くんのアドバイスに従って手首に力を入れず真っ直ぐに投げることをイメージした。
――力を入れない。真っ直ぐ。力を入れない。真っ直ぐ。
頭の中で呪文のように繰り返しながら助走を始め、ボールを持った手を後ろに引いたその瞬間……。
ボールがすぽっと指から抜け落ちた。
――ウソ!?
振り返った私の目には、さほど近くに落ちたわけでもないのに、怖がって大げさに避けるおば様の姿が映る。そのしぐさは仁王立ちの勇ましいポーズからは想像もつかないようなわざとらしい可憐さがあった。
――いやいやいや、そんなに避けなくていいし?
すっ飛ばした張本人だというのに、私はそのおば様の姿を見た瞬間罪の意識も忘れ、心の中でツッコんでしまった。
それがおば様に伝わったのだろうか。ブツッと彼女の堪忍袋の緒が切れた音が聞こえた気がした。
「ちょっと何やってんのよ!? 危ないじゃない! どういうつもり!?」
「ごめんなさい」
どうもこうもない。手首に力を入れないようにと気をつけていたら、力加減を間違えたのか指が滑ったのだ。これは危険行為だけれども、わざとやったわけではない。
おば様は今まで堰き止めていた我慢ならない思い丈を一気にぶちまける。私はひたすら頭を下げて、とにかくボールを拾いに行った。
でも、と彼女の演説を聞きながら思う。
――あまりヒステリックに叫ぶと、正論を述べていても快く受け入れてもらえませんよ?
実は年配の女性教師にも同じことを思うことがある。その先生は普段から不機嫌そうな顔で挨拶をしてもニコリともしない。まぁ、私の挨拶も愛想がないから仕方がないのかもしれないけれども。
――私も気をつけないとなぁ……。
こんなときに思うことではないのだけど、私は小さくなってボールを拾いながら自分の態度を反省していた。
西さんや菅原くんを「感じ悪い」と思ったけど、考えてみれば普段の私はその何十倍も「感じ悪い」のかもしれない。今まで他人に無関心を通してきたのはただの自分のエゴでしかないのだ。
――あれ、私……?
そういえば、どうして私は友達と交わらない生活を好むようになったんだろう。いつから? 昔は違ったような気がする。
何か変な感じがした。自分が自分でないような……?
しゃがんだまま首を傾げた私の隣に誰かが立った。見るまでもなく清水くんだ。それでも私は足から順に彼の顔までを見上げる。下から見ても本当に端整な顔立ちだった。
ほんの一瞬、彼は私を見下ろしてクスッと笑う。それから表情を引き締めて口を開いた。
「お騒がせして申し訳ありませんでした。お詫びにもなりませんが、よかったらこれ使ってください」
彼の真剣で優しい声がその場の空気を弛緩させる。思わず私はぼーっと見とれてしまった。
清水くんはおば様の目の前まで歩いていって、ほんの少し首を傾げるとニコッと笑った。悪魔が微笑んだのだ。おば様は目をパチクリとさせ、一瞬ためらった後、差し出された紙切れをおそるおそる受け取った。
――あれって、さっきのお姉さんがポケットに入れていった紙?
硬直したままその紙片を眺めていたおば様は、清水くんの顔と手にしている紙を見比べる。
「ど、どうもありがとう」
おば様の激情は嘘のように消え失せてしまい、今はただイケメンを目の前にして頬を赤く染める一人の乙女になっていた。
「いいえ、こちらこそご迷惑をお掛けしてすみませんでした」
最後にまたあの悪魔の微笑みを見せ、彼は堂々とこちらへ戻ってくる。立ち上がった私の背中を軽く押して、再びレーンに向かう私に言った。
「舞、手首の角度が甘いんだ。ボールを片手で下から支えるように持って」
ふむふむ。……ああ、なるほど。
右手の上にボールを乗せる。さっきおば様のほうへぶっ飛ばしてしまったのは、ちゃんと手でボールを支えていなかったのだ。
――……って、もしかして私を助けてくれたの?
助走を始めた私の脳裏に突然その考えがひらめいた。今度は真っ直ぐ前に転がすことができたが、意識が逸れたのが原因なのか、途中からボールも横に逸れて溝に転落……。
結局、清水くんはずるい。頭も良くて運動神経も良くて、背も高くて顔もカッコいいなんて反則だと思う。神様は彼一人にいろいろ与えすぎだ。
それにあの笑顔を見せられたら、ほとんどの女性は彼に全てを許してしまうんじゃないかと思う。あの背後で仁王立ちしていたおば様だって、今はもう恋する少女みたいに清水くんのことばかり見つめているのだから。
――ぐわあああ!
考えるのはやめよう。だんだん自分が嫌な人間になってしまう。
そうだ、ヤツは悪魔だった。悪魔のことを羨む人はいない。私、どうかしてました。
何とか立ち直った私は、清水くんに買ってもらったジュースを飲んだ。しかし、どうしてグレープフルーツジュースなのかはよくわからない。オレンジとかアップルとかオーソドックスな選択肢もあるのに、と思う。
「グレープフルーツ好きなの?」
「好きだよ。甘くてちょっと苦いところとか、誰かに似てるなって思って」
さっきまで派手に盛り上がっていた向かい側の菅原・西チームも急におとなしくなり、清水くんと話す声も内緒話のようにひそひそとした小声だ。それをいいことにヤツはまた変なことを言い出した。
「……誰か?」
「うん。舞に」
「どこが?」
「だから、甘くてちょっと苦い」
「意味がわかりません」
「それは教えられないな」
珍しく彼は自嘲気味に笑う。苦いというのはわかるけど、私のどこが甘いのだろう? 彼の考えていることはさっぱりわからない。それが原因なのか胸の中のもやもやが膨張してきて、大声でわめきたいような気分になった。
そこにタイミングよくこんな声が聞こえてくる。
「次、カラオケ行かない?」
菅原くんが現代の若者らしく余計な言葉をできる限り省いて提案してきた。その得意げな言い方からすると、菅原くんは歌に自信があるようだ。私としては彼の歌声はどうでもいいが、清水くんの歌うところは見てみたい。
それに私もカラオケはボーリングほど苦手ではない。溜まったストレスを発散してやるぞ、と密かにやる気十分だった。
「カラオケねぇ……」
隣からため息混じりの声がする。横を見ると清水くんが気だるげに長い足を投げ出してのけぞっていた。
「もしかして音痴とか?」
一応小声で訊いてみる。言いながらこみ上げてくる笑いを堪えるのに苦労した。これが彼の弱点だとしたら絶対に見たいし、聴きたい。
別な意味で私は嫌な人間だな、と思っていると、突然身を起こした清水くんが険しい顔で私の耳元に囁いた。
「誰が音痴だって?」
――ひぃ!
低い声に総毛だつ。失言だったと思う私の耳に、田中くんの陽気な声が聞こえてきた。
「じゃあ、カラオケに移動しまーす!」
ボーリングを終えた一同はぞろぞろと大移動し始めた。