HAPPY CLOVER 2-ないしょの関係-
総勢八名のグループが一室に入ると、広く感じたカラオケルームも案外息苦しくなってしまう。入室するなり、長椅子にどうやって座るかで菅原くんと清水くんが対立し、結局また菅原くんの意見が通った。
そして菅原くんはちゃっかりと藤谷さんの隣に座り、そのカップルの隣に西さんと清水くん、向かい側に田中くん、山辺さん、沖野くん、私という席順になった。
隅っこに腰掛けてほうっとため息をつくと、真正面から怖い顔をした清水くんが私をじっと見つめてくる。こうなったのは私のせいではないけど、何となく首を縮めて小さくなっていた。
他の人は選曲やドリンクの注文で忙しくしていた。山辺さんがみんなの注文をまとめて電話してくれる。彼女は気が利くし面倒見がいい。電話も自分の役割のように率先して掛けてくれたので、私は感謝しながら尊敬の眼差しで見ていた。
予告なしに一曲目のイントロが室内に響きわたる。全員の注目を集めながらマイクを手にして立ち上がったのは、やはり菅原くんだった。
カラオケへ行こうと誘い、頼んでもいないのに一番手を引き受けるくらいなので、さすがに上手い。へぇ、と思っていると隣の沖野くんから早見本が回ってきた。パラパラとめくっていると次は西さんがマイクを取る。
座ったまま西さんが歌いだした。今、とても人気のある女性アーティストの曲で、実は私もすごく好きな曲だった。透明感のある歌声が素人には真似できそうにないと思っていたが、西さんは声量こそないものの声質が似ている。
「メアリー、上手いじゃん!」
沖野くんが驚きの声を上げた。田中くんと山辺さんも大いに頷く。藤谷さんは笑顔で小さく拍手を送り、その姿がまた愛らしい。
――ど、どうしよう……。
ボーリングよりは自信があると思っていたカラオケだが、急に心細くなってきた。何を歌おうかとあれこれ考えるが、元からレパートリーが少ないので私の心は軽くパニック状態になる。
次は清水くんの番だった。
本をめくる手を止めて向かい側でマイクを持つ彼を見た。歌い終わった西さんがさっきよりも清水くんに接近しているような気がして、眉がピクッと反応する。彼は一瞬だけ私に目を合わせると、ふいっと首を動かしモニターに集中する。
何だかさっきから彼の態度が冷たい。何か怒ってるのだろうか?
清水くんはアニメの主題歌で最近人気が出たヴィジュアルバンドの曲を選んでいた。私は彼の彼女だというのに彼の好きなものをほとんど知らないことに気がつく。
――付き合い始めてから日が浅いのもあるけど……。
そして、彼の歌声も初めてだ。
「……ちょっ! マジウマ!!」
フレーズの区切りで沖野くんがヒュウと口笛を鳴らす。感嘆の声を上げたのは山辺さんだ。メアリーこと西さんを見ると、隣で歌う清水くんを見上げる目が少女マンガに出てくる女の子のようにキラキラしていた。
――ていうか、ヤツに弱点はないんですか!?
しかもみんなが彼の歌声に酔いしれている中、モニターの歌詞を読んでいた私はこれが失恋の歌だということに気がつき、複雑な気分になる。
――いきなり別れる曲とか……どういう意味!?
まぁ、意味などないと思うけど、それでも変に勘繰ってしまうのは、やはり私が彼のことを好きだからなのか。じっと見つめていたモニターが急にぼやける。慌てて目を逸らして涙が引っ込むのを待った。
それから向かい側は見ないようにして、また選曲に戻る。突然いいことを思いついたのだ。
――これこれ、これだ!
清水くんの歌が終わると、田中くん、山辺さん、沖野くんと順にマイクが回り、ついに私の番になる。
慌てずに番号を押すとモニターに曲名が表示された。途端に隣から耳につく甲高い声が上がった。
「キターーーーー!!」
――何か文句ありますか? 清水くんだってアニソンだったのに。
そう。私は幼少の頃に大ヒットしたアニメの主題歌を選曲したのだ。テーブルの上のマイクを掴むと私は立ち上がった。
印象的な歌いだしのサビを、溜まった鬱憤を晴らすように歌い上げると、沖野くんと田中くんが腹を抱えて笑い出す。他の人は度肝を抜かれたような顔で私を眺めていた。少し、いやかなりいい気分だ。
だが、一人だけ冷たい視線を送ってくるヤツがいた。真正面から。
気がついてはいたが敢えて無視する。始めてしまったものは最後までやり遂げるのみだ。
笑いたければ笑えばいい。私らしくない思うかもしれないが、これも紛れもなく私なのだ。
――ええい、私のソウルを聴け――!
歌い終わった私は魂が抜けたようにストンと椅子に腰を下ろし、ふうと大きく息をついた。
「高橋、ナイスファイト! よし、俺もアニソンで行くぜ!」
「え、沖野も? 俺も歌っていい!?」
沖野くんと田中くんが目の色を変えて本をめくり、競うようにリモコンに番号を入力する。それを菅原くんが茫然と見つめている。
一気に室内の雰囲気が変わってしまった。
「ぶっ……!」
怖い顔をしていた真向かいの清水くんが、突然堪え切れないように吹き出す。隣の西さんは驚いて彼から身を離した。
「カラオケは舞の優勝だね」
悔しそうに菅原くんが顔を背ける。それは負けを認めたということだろうか。感じの悪い菅原くんの鼻明かしたようで更に気分が晴れ晴れとした。
「舞の歌も終わったんでトイレ」
そう言い残して清水くんは部屋を出て行った。ドアが閉まると西さんが突然立ち上がり、テーブルの上に投げ出されていたリモコンを手にする。
「おい、何するんだよ!」
マイクを握った沖野くんの反論も聞かず、演奏が始まった曲を中止し、予約も全てキャンセルする。
それから腰に手を当てて私の真正面に立った。マンガに出てきそうな場面だと彼女の姿を見て私は思う。
大きく息を吸った西さんは、ついに腹に据えかねていた想いを吐き出した。
「いい気にならないでよ。ちょっと清水くんに気に入られてるからって、調子に乗りすぎ。今は物珍しいから構われてるだけで、そんなの一時的なものよ。アンタみたいに根暗な人間を清水くんが本気で好きになるわけないもの!」
――根暗……か。
とりあえず瞬きを繰り返した。胸の鼓動が大きくなり身体中に響き渡る。目を吊り上げた真剣な顔の西さんとしばらくの間見つめ合った。
「……そうですよ」
西さんから目を逸らして自分の膝頭の辺りに視線を落とす。彼女はさぞかしすっきりしただろうな、と思っていた。たぶん、さっき歌い終えた私と同じような気持ちじゃないか、と。
「清水くんが私なんかのことを好きになるわけないんです。……皆さん、本気で騙されたんですか?」
声がどうしようもなく震えた。でも、心の中は優しい気持ちで溢れていた。西さんにあんなことを言わせたのは私なのだ。私が逆の立場だったら、やっぱり同じように思うはずだ。さっきあの見知らぬお姉さんに「彼に近寄らないで」と思ったのと同じように……。
もうダメだ。やっぱり私はこんなところに来ちゃいけなかったんだ。
ドアに駆け寄りドアノブに手を掛けた瞬間、予告なしにドアが開いた。勢い余って前のめりになった私は、顔面から懐かしい香りのする柔らかいシャツに飛び込む。
慌てて離れようとしたが、そのまま頭を押さえつけられた。
「お待たせ。もう帰ろう」
頭上から心のこもった温かい声が降ってきた。清水くんは私の顔を覗き込むようにするので、仕方なく上目遣いで見上げるが、ぶつかった拍子に眼鏡がずり落ちてしまい彼の顔がぼやけて見える。
「泣いてるし……」
「泣いてない!」
清水くんがクスッと笑う。頭を押さえつけていた手が、いつの間にか背中に回されて私は彼に抱き締められていた。
「涙目になってる」
「なってない!」
――っていうか、は、は、は、ハグ!? しかもみんなが見てる前で!?
恥ずかしさで顔が真っ赤になる。背中に田中くんの声が聞こえてきた。
「おいおい、見せつけるなって。そういうことはよそでやってよ」
「では、お言葉に甘えて」
凄みさえ感じる笑顔を見せて彼はカラオケ部屋のドアを閉じる。それから私の肩を優しく抱いたままカラオケ店を出た。
「舞の意外な一面を見てしまった」
可笑しくて仕方ないというように笑いを噛み殺しながら、清水くんは言った。私は肩に回された彼の手が気になって仕方がない。
「喜んでいいのかわかりませんが……。それよりこのままでずっと歩くんでしょうか?」
「ん?」
清水くんはわかっているくせに気がつかないふりをする。街行くカップルだってこんな恥ずかしい状態で歩いてはいない。私の頬は真っ赤になったままだった。
「実は舞って目立ちたがりだったりして」
「否定できない部分はありますね。成績だってできれば一番がいいですし」
クスッと笑われる。普通ならカチンと来るところだが、私の頭の中はほとんど沸騰していて何も考えられない。彼の腕に包まれている部分に異常なほど意識が集中していた。
「ねぇ、どうしてさっきからずっと丁寧語なの?」
「そ、それはですね……ど、どうしてなんでしょうね」
何を言ってるのかもわからなくなってきた。硬いアスファルトの上を歩いているはずなのに、足元はふわふわと宙に浮いているような感覚だ。
気がつけば駅に到着していた。ようやく清水くんの手が私の肩から離れてホッとするのと同時に、自分の身体から彼のぬくもりが消え去ってしまうのを残念に思う。
そういえば、と私は急に思い出す。
「あのおば様にあげた紙は何だったの?」
「ああ、来週から使えるボーリング1ゲーム無料券」
「そうなんだ」
無意識に笑いがこみ上げてきた。それを不審そうに見つめてくる清水くんに「何でもない」と首を横に振って見せた。
電車の時間まで駅ビルに入っている店をぶらぶらと見てまわり、ギリギリの時間に電車に乗った。ここに降り立ったときは不安で不満な気持ちばかりだったのに、今は全てが彼への想いに塗りつぶされてしまっている。
最高に幸せな気分で電車に乗り込んだ私は、すぐに山辺さんの姿を見つけた。
「高橋さん、ここ空いてるよ」
山辺さんも私に気がついて声を掛けてくれた。礼を言いながら彼女の隣に腰を下ろす。
「今日は楽しかったね。高橋さんの歌う姿、めちゃウケたし!」
「アハハ……」
楽しんでいただけて幸いです、と思っていると、山辺さんは急に表情を翳らせた。
「でも、メアリーが急にあんなこと言い出しちゃって……ごめんね」
「私は気にしてませんから」
友達のこととは言え山辺さんに謝ってもらうのは恐れ多かった。彼女は責任感も強くて本当に優しい人だ。
彼女の心遣いにひどく感じ入っていた私の耳に、次の言葉が届く。
「だけどメアリーの気持ちもよくわかるんだ。私も清水くんのこと好きだから」
うんうん私もです、としきりに頷いて同意する。
――ん? 待てよ。
――山辺さんも……清水くんのことが好き!?
ひょえええーーーーー!?
驚いて真横に座る山辺さんの顔を凝視する。彼女は小さく笑いながら私の顔を見返して、「それじゃあまたね」と言い残し颯爽と電車を降りていった。
そして菅原くんはちゃっかりと藤谷さんの隣に座り、そのカップルの隣に西さんと清水くん、向かい側に田中くん、山辺さん、沖野くん、私という席順になった。
隅っこに腰掛けてほうっとため息をつくと、真正面から怖い顔をした清水くんが私をじっと見つめてくる。こうなったのは私のせいではないけど、何となく首を縮めて小さくなっていた。
他の人は選曲やドリンクの注文で忙しくしていた。山辺さんがみんなの注文をまとめて電話してくれる。彼女は気が利くし面倒見がいい。電話も自分の役割のように率先して掛けてくれたので、私は感謝しながら尊敬の眼差しで見ていた。
予告なしに一曲目のイントロが室内に響きわたる。全員の注目を集めながらマイクを手にして立ち上がったのは、やはり菅原くんだった。
カラオケへ行こうと誘い、頼んでもいないのに一番手を引き受けるくらいなので、さすがに上手い。へぇ、と思っていると隣の沖野くんから早見本が回ってきた。パラパラとめくっていると次は西さんがマイクを取る。
座ったまま西さんが歌いだした。今、とても人気のある女性アーティストの曲で、実は私もすごく好きな曲だった。透明感のある歌声が素人には真似できそうにないと思っていたが、西さんは声量こそないものの声質が似ている。
「メアリー、上手いじゃん!」
沖野くんが驚きの声を上げた。田中くんと山辺さんも大いに頷く。藤谷さんは笑顔で小さく拍手を送り、その姿がまた愛らしい。
――ど、どうしよう……。
ボーリングよりは自信があると思っていたカラオケだが、急に心細くなってきた。何を歌おうかとあれこれ考えるが、元からレパートリーが少ないので私の心は軽くパニック状態になる。
次は清水くんの番だった。
本をめくる手を止めて向かい側でマイクを持つ彼を見た。歌い終わった西さんがさっきよりも清水くんに接近しているような気がして、眉がピクッと反応する。彼は一瞬だけ私に目を合わせると、ふいっと首を動かしモニターに集中する。
何だかさっきから彼の態度が冷たい。何か怒ってるのだろうか?
清水くんはアニメの主題歌で最近人気が出たヴィジュアルバンドの曲を選んでいた。私は彼の彼女だというのに彼の好きなものをほとんど知らないことに気がつく。
――付き合い始めてから日が浅いのもあるけど……。
そして、彼の歌声も初めてだ。
「……ちょっ! マジウマ!!」
フレーズの区切りで沖野くんがヒュウと口笛を鳴らす。感嘆の声を上げたのは山辺さんだ。メアリーこと西さんを見ると、隣で歌う清水くんを見上げる目が少女マンガに出てくる女の子のようにキラキラしていた。
――ていうか、ヤツに弱点はないんですか!?
しかもみんなが彼の歌声に酔いしれている中、モニターの歌詞を読んでいた私はこれが失恋の歌だということに気がつき、複雑な気分になる。
――いきなり別れる曲とか……どういう意味!?
まぁ、意味などないと思うけど、それでも変に勘繰ってしまうのは、やはり私が彼のことを好きだからなのか。じっと見つめていたモニターが急にぼやける。慌てて目を逸らして涙が引っ込むのを待った。
それから向かい側は見ないようにして、また選曲に戻る。突然いいことを思いついたのだ。
――これこれ、これだ!
清水くんの歌が終わると、田中くん、山辺さん、沖野くんと順にマイクが回り、ついに私の番になる。
慌てずに番号を押すとモニターに曲名が表示された。途端に隣から耳につく甲高い声が上がった。
「キターーーーー!!」
――何か文句ありますか? 清水くんだってアニソンだったのに。
そう。私は幼少の頃に大ヒットしたアニメの主題歌を選曲したのだ。テーブルの上のマイクを掴むと私は立ち上がった。
印象的な歌いだしのサビを、溜まった鬱憤を晴らすように歌い上げると、沖野くんと田中くんが腹を抱えて笑い出す。他の人は度肝を抜かれたような顔で私を眺めていた。少し、いやかなりいい気分だ。
だが、一人だけ冷たい視線を送ってくるヤツがいた。真正面から。
気がついてはいたが敢えて無視する。始めてしまったものは最後までやり遂げるのみだ。
笑いたければ笑えばいい。私らしくない思うかもしれないが、これも紛れもなく私なのだ。
――ええい、私のソウルを聴け――!
歌い終わった私は魂が抜けたようにストンと椅子に腰を下ろし、ふうと大きく息をついた。
「高橋、ナイスファイト! よし、俺もアニソンで行くぜ!」
「え、沖野も? 俺も歌っていい!?」
沖野くんと田中くんが目の色を変えて本をめくり、競うようにリモコンに番号を入力する。それを菅原くんが茫然と見つめている。
一気に室内の雰囲気が変わってしまった。
「ぶっ……!」
怖い顔をしていた真向かいの清水くんが、突然堪え切れないように吹き出す。隣の西さんは驚いて彼から身を離した。
「カラオケは舞の優勝だね」
悔しそうに菅原くんが顔を背ける。それは負けを認めたということだろうか。感じの悪い菅原くんの鼻明かしたようで更に気分が晴れ晴れとした。
「舞の歌も終わったんでトイレ」
そう言い残して清水くんは部屋を出て行った。ドアが閉まると西さんが突然立ち上がり、テーブルの上に投げ出されていたリモコンを手にする。
「おい、何するんだよ!」
マイクを握った沖野くんの反論も聞かず、演奏が始まった曲を中止し、予約も全てキャンセルする。
それから腰に手を当てて私の真正面に立った。マンガに出てきそうな場面だと彼女の姿を見て私は思う。
大きく息を吸った西さんは、ついに腹に据えかねていた想いを吐き出した。
「いい気にならないでよ。ちょっと清水くんに気に入られてるからって、調子に乗りすぎ。今は物珍しいから構われてるだけで、そんなの一時的なものよ。アンタみたいに根暗な人間を清水くんが本気で好きになるわけないもの!」
――根暗……か。
とりあえず瞬きを繰り返した。胸の鼓動が大きくなり身体中に響き渡る。目を吊り上げた真剣な顔の西さんとしばらくの間見つめ合った。
「……そうですよ」
西さんから目を逸らして自分の膝頭の辺りに視線を落とす。彼女はさぞかしすっきりしただろうな、と思っていた。たぶん、さっき歌い終えた私と同じような気持ちじゃないか、と。
「清水くんが私なんかのことを好きになるわけないんです。……皆さん、本気で騙されたんですか?」
声がどうしようもなく震えた。でも、心の中は優しい気持ちで溢れていた。西さんにあんなことを言わせたのは私なのだ。私が逆の立場だったら、やっぱり同じように思うはずだ。さっきあの見知らぬお姉さんに「彼に近寄らないで」と思ったのと同じように……。
もうダメだ。やっぱり私はこんなところに来ちゃいけなかったんだ。
ドアに駆け寄りドアノブに手を掛けた瞬間、予告なしにドアが開いた。勢い余って前のめりになった私は、顔面から懐かしい香りのする柔らかいシャツに飛び込む。
慌てて離れようとしたが、そのまま頭を押さえつけられた。
「お待たせ。もう帰ろう」
頭上から心のこもった温かい声が降ってきた。清水くんは私の顔を覗き込むようにするので、仕方なく上目遣いで見上げるが、ぶつかった拍子に眼鏡がずり落ちてしまい彼の顔がぼやけて見える。
「泣いてるし……」
「泣いてない!」
清水くんがクスッと笑う。頭を押さえつけていた手が、いつの間にか背中に回されて私は彼に抱き締められていた。
「涙目になってる」
「なってない!」
――っていうか、は、は、は、ハグ!? しかもみんなが見てる前で!?
恥ずかしさで顔が真っ赤になる。背中に田中くんの声が聞こえてきた。
「おいおい、見せつけるなって。そういうことはよそでやってよ」
「では、お言葉に甘えて」
凄みさえ感じる笑顔を見せて彼はカラオケ部屋のドアを閉じる。それから私の肩を優しく抱いたままカラオケ店を出た。
「舞の意外な一面を見てしまった」
可笑しくて仕方ないというように笑いを噛み殺しながら、清水くんは言った。私は肩に回された彼の手が気になって仕方がない。
「喜んでいいのかわかりませんが……。それよりこのままでずっと歩くんでしょうか?」
「ん?」
清水くんはわかっているくせに気がつかないふりをする。街行くカップルだってこんな恥ずかしい状態で歩いてはいない。私の頬は真っ赤になったままだった。
「実は舞って目立ちたがりだったりして」
「否定できない部分はありますね。成績だってできれば一番がいいですし」
クスッと笑われる。普通ならカチンと来るところだが、私の頭の中はほとんど沸騰していて何も考えられない。彼の腕に包まれている部分に異常なほど意識が集中していた。
「ねぇ、どうしてさっきからずっと丁寧語なの?」
「そ、それはですね……ど、どうしてなんでしょうね」
何を言ってるのかもわからなくなってきた。硬いアスファルトの上を歩いているはずなのに、足元はふわふわと宙に浮いているような感覚だ。
気がつけば駅に到着していた。ようやく清水くんの手が私の肩から離れてホッとするのと同時に、自分の身体から彼のぬくもりが消え去ってしまうのを残念に思う。
そういえば、と私は急に思い出す。
「あのおば様にあげた紙は何だったの?」
「ああ、来週から使えるボーリング1ゲーム無料券」
「そうなんだ」
無意識に笑いがこみ上げてきた。それを不審そうに見つめてくる清水くんに「何でもない」と首を横に振って見せた。
電車の時間まで駅ビルに入っている店をぶらぶらと見てまわり、ギリギリの時間に電車に乗った。ここに降り立ったときは不安で不満な気持ちばかりだったのに、今は全てが彼への想いに塗りつぶされてしまっている。
最高に幸せな気分で電車に乗り込んだ私は、すぐに山辺さんの姿を見つけた。
「高橋さん、ここ空いてるよ」
山辺さんも私に気がついて声を掛けてくれた。礼を言いながら彼女の隣に腰を下ろす。
「今日は楽しかったね。高橋さんの歌う姿、めちゃウケたし!」
「アハハ……」
楽しんでいただけて幸いです、と思っていると、山辺さんは急に表情を翳らせた。
「でも、メアリーが急にあんなこと言い出しちゃって……ごめんね」
「私は気にしてませんから」
友達のこととは言え山辺さんに謝ってもらうのは恐れ多かった。彼女は責任感も強くて本当に優しい人だ。
彼女の心遣いにひどく感じ入っていた私の耳に、次の言葉が届く。
「だけどメアリーの気持ちもよくわかるんだ。私も清水くんのこと好きだから」
うんうん私もです、としきりに頷いて同意する。
――ん? 待てよ。
――山辺さんも……清水くんのことが好き!?
ひょえええーーーーー!?
驚いて真横に座る山辺さんの顔を凝視する。彼女は小さく笑いながら私の顔を見返して、「それじゃあまたね」と言い残し颯爽と電車を降りていった。