HAPPY CLOVER 2-ないしょの関係-




 店内を我が物顔でスタスタと歩く清水くんの後ろからキョロキョロしながらついて行くと、目指すケータイ売り場が見えてきた。

 到着する前から何だかまぶしい空間だ。

 父と姉は以前から持っているので、ケータイは私にとって珍しいものではない。でも、自分用となると話は別だ。

 清水くんのケータイは何度か見たことがある。シンプルな黒のケータイで、ストラップなども付けていない。

 逆に私の姉は、ケータイとストラップとどちらが主体なのかわからなくなるくらい、いろいろなストラップを重ね付けしている。おそらく本人が気に入ったものを無節操に取り付けていったのだろう。

 ――もし私がケータイを持つとしたら……



「これ、かわいいな」



 思考中に突然清水くんの声が聞こえた。かわいいと言う声が妙な響きを帯びていて、背中がぞくっとする。

 彼が手に持っているのは女子専用としか思えないピンク色のケータイで、それを見た途端、私はギョッとした。

「そう?」

「舞の趣味じゃないか」

 そう言ってケータイを戻した清水くんはふらりと別の陳列棚へ移動する。

 私は彼に握られていたピンク色のケータイを少し離れたところからじっと見つめた。

 ――ピンクか。……嫌いじゃないけど、何だか抵抗感があるな。

 でも確かにかわいい。隣に白と黒の色違いが置いてあるが、やはりピンク色が抜群にかわいかった。

 そして値札を見て目が点になる。

 ――結構なお値段で。

 どうしたものかと思いながら一応売り場を一回りすると、電車の時間が近づいてきたので店を後にした。

「気に入ったの、あった?」

 自転車を押しながら清水くんが訊ねてくる。

「うん、まぁ……」

「気のない返事だね」

「だってお金のこと考えたら、親に言い出しにくいなって思っちゃった」

 まずケータイを購入するのにまとまったお金が必要で、その上使用料を毎月支払わなければならないことを考えると、自分のお小遣いで全部まかなうのはたぶん不可能だ。

 そうなるとやはり金銭的な面でも両親に頼らなければならない。我が家が取り立てて貧乏なわけではないが、どうも親に甘えるのが苦手な私は、相談すること自体が億劫になっていた。

「そっか」

 清水くんは一言そう言ったきり、しばらく黙ってしまった。



 ――あれ、もしかして怒ってる?



 私は沈黙した彼の隣を歩きながら困り果てていた。この展開は初めてのパターンだ。

 どうしようかと悩んでいるうちに駅に着く。Yデンキから駅までは目と鼻の先なのだ。

「あの……ここでいいよ」

 自転車置き場に自転車を停めようとした清水くんの背中に呼び掛けた。

 彼は無言で振り向くと形のよい眉をきゅっと中央へ寄せた。



「他のヤツにいろいろ言われるのは、やっぱり嫌?」



 清水くんが静かに言った。

 私はただその場に立ち尽くして、彼の真剣な眼差しを受け止めるだけしかできない。



「俺に関わって後悔してる?」



 続く問い掛けには首を横に振った。

 彼がどうして急にそんなことを言い出したのかわからなくて、惨めな気持ちがあふれ出そうだった。

 数秒じっと私の目を見ていた清水くんはフウッと大きく息を吐いた。それから自転車を停めて鞄を二つ持つと「行くよ」と私を促す。

 でも私はその場に根が生えてしまったように動けないでいた。

 行かなきゃいけない。電車に乗り遅れてしまう。この電車に乗り遅れたら、次は二時間以上待たなければならないのだ。

 それでも私は清水くんを見つめたまま、同じ場所に突っ立っている。

 動こうとしない私に業を煮やしたのか、彼はつかつかと私の目の前までやって来た。

 そして同じ目線まで屈むと、いきなりニッと笑ってみせる。



「…………!」



 眼鏡の奥の奥まで見透かされたような感覚に驚いてひるんだ瞬間、彼は私の手を掴んで走り出した。

「ちょっと、待って!」

「乗り遅れてもいいの?」

「それは、困る、けどっ」

 足が長くてしかも早い清水くんに引っ張られて、私は息を切らしながら答える。



 ――でもこのまま改札口まで行って誰かに見られたら……



 そんな不安が胸の中で爆発しそうなほどに膨らんだときだった。

 清水くんが掴んだ私の手にぎゅっと力を込めてきた。



「いくらバレないようにこそこそしたって、遅かれ早かれバレるよ」

 私の考えはすっかり読まれていた。それでさっきから怒っていたのだろうか。

「だけど、そしたら、困る、でしょ」

 だって私なんかと付き合ってることがみんなに知れたら、清水くんにはダメージが大きすぎるもの。



「誰が?」



 階段を駆け上がったところで清水くんが振り向いて言った。手は繋いだままだ。そのことに気がついた私は急に恥ずかしくなり、耳までカッと熱くなるのを感じた。

 そっと振りほどこうとしたが、それどころか逆に指を絡められてしまう。

 清水くんは全てお見通しというように鋭い目つきで口の端を笑みの形に吊り上げた。



「俺は困らない。何も悪いことしてないから。誰に何を言われてもかまわない」



 力強い口調に圧倒されて、私は絶句した。 



「でも舞は違うよね。それにきっとこれから周りからの風当たりも強くなると思う。だから、学校やこういう知り合いの目に付く場所では今までどおりにしてほしいっていう舞の気持ちはできるだけ尊重したい」



 ――困るのは……私?

 ――私の気持ちを……尊重……



 清水くんを見上げて、その顔を食い入るように見つめる。

 ――それ、本気で言ってる?

 冗談を言うような状況ではないことはわかっているが、それでも確認せずにはいられない。

 私の分厚い眼鏡の奥の目を真っ直ぐに捉える彼の視線には、そんな疑問を挟む余地もなかった。

 突然、繋いでいた手がはなされて、所在のなくなった私の手の前に鞄が差し出される。

「だから今日はここまで。ほら、早く行かないと乗り遅れるよ」

 鞄を受け取った私の背を空いた手でポンポンと叩くと、後ろに一歩下がる。そして彼はその手をひらひらと振った。

 つられてぎこちなく手を振りながら前を向いて改札口へ通じる長い通路を歩き出す。

 一人で歩くことが不安で泣きたくなるくらい寂しく感じた。それくらい清水くんの存在が私の中で大きくなっていたのだ。

 十歩くらい歩いたときだった。

 後ろから誰かが走ってくる足音がした。すぐに肩をつかまれる。



「忘れもの。手を出して」

「え?」



 言うが早いか私の手を乱暴につかんで手のひらを上に向けさせる。

「ちょっと、何?」

「メアド」

 黒のボールペンでアルファベットを次々と書き込んでいく。手のひらがくすぐったいが我慢した。手のひらなんて書きにくいはずなのに、やっぱり読みやすい綺麗な文字が並んでいる。

 書き終わると彼は満足そうな顔でもう一度私の背を押す。

「じゃあ、メール待ってるから」

「期待はしないでね」

「めちゃくちゃ期待してるから、よろしく!」

 何ですか、その「よろしく」って……。

 突っ込みたいけれどもそんな時間はない。どうしようもなく笑いがこみ上げてきて、頬を緩ませながら走った。

 改札口に近づいてからチラッと振り返ると、長い通路の向こうで清水くんが軽く手を上げたのが見えた。近くに同じ電車の学生がいないことを確かめてから、私も小さく手を振り返す。

 見送ってくれる彼の姿をずっと見ていたい――そんな気持ちを振り払うように勢いよく前を向くと、私は小走りで改札口を通り抜けた。
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