HAPPY CLOVER 2-ないしょの関係-
翌朝、登校して席に着くなり田中が俺の前の席に座り込んだ。妙に思い詰めた顔つきで、俺の顔を真剣な目つきで見つめてくる。
田中には悪いが、男に見つめられても全然嬉しくない。むしろ暑苦しい。
どうしたのかと思いながら眉をひそめると、田中はようやく意を決したように口を開いた。
「清水、なんで断った?」
「は?」
「昨日、菅原からメール行っただろ?」
「着たけど、そりゃ当然断るだろ」
そう言うと、田中は俺を恨めしそうに睨んだ。
「まぁ……お前はそうかもしれないけど」
やっと俺から視線を外して大げさにため息をつく。それからチラッと舞を見て、また俺を凝視した。
ちなみに舞は文庫本を開き、小説を読んでいるふりをしているが、俺たちの会話を盗み聞きしていることは間違いない。
「ぶっちゃけ、この際誰でもいい。俺は女子と遊びたい」
「ゴホッ、ゲホッ……」
突然舞が咳込んだ。俺たちに背を向けて肩を震わせている。だが俺には、笑いをこらえて苦しんでいる姿にしか見えない。
田中のあまりにも正直過ぎる本音の吐露に、俺も思わず苦笑した。
「お前は行けばいいじゃん」
「ダメだ。清水が来るって言わないと女子も来ない」
田中はまるでこの世の終わりが訪れたかのような絶望的な声を出した。
「他のヤツを誘えよ」
「他のヤツじゃダメなんだよ! とにかくお前が来ないと意味がないんだ」
「俺は行かない」
そう言ってから舞を見ると、表情を強張らせて本を見つめていた。心の中で心配すんな、と呼び掛けてみるが、残念ながら俺にテレパシーはない。
それにしても、いきなりこんなやっかいなことを吹っかけてきた菅原が憎かった。
「じゃあさ……」
背を丸めた田中は小声で言った。
「とりあえずお前も参加ってことにしておいて、当日他のヤツ連れて行くっていう案は?」
「ドタキャンか」
「だって、そうでもしないとお前抜きじゃこの計画、絶対フェイドアウトする……」
「そうまでして遊びたいか?」
「お前にはわからんだろうが、俺は女の子と遊ぶチャンスなんて滅多にないんだ。これを逃すと次はいつになることか……」
舞が顔を不自然に窓のほうへ捻る。たぶん笑いを噛み殺しているんだろう。
――ありがとう、田中。お前のおかげで舞が深刻にならずに済んでいるよ。
やはり持つべきものは少しおバカな親友だな、と再確認し、俺は田中の腕を叩いた。
「わかった。そこまで言うならドタキャン計画に乗ってやるよ。でも、俺は絶対行かないからな」
「助かるよ、清水! いや、清水様! 愛してる」
「キモッ!」
田中は細い目を更に細くして茶目っ気たっぷりの笑顔を見せたかと思うと、投げキッスの動作をして軽い足取りで去った。
それを見送ると深呼吸をして少しだけ舞のほうに肩を寄せた。
「ねぇ、心配した?」
囁くような声で訊く。舞がチラッとこっちを見た。
「何を?」
――うわぁ……、冷たい声。
俺の心は一気に震え上がった。テンションは急降下する。
舞は……怒ってる?
「他の女子と遊んでもいいの?」
「私には関係ないことですから」
――……関係……ない?
レンチか何かで思い切り頭を殴られたような感覚が俺を襲った。目の前がくらくらする。
舞の顔をまともに見ることができない。
これ以上彼女に冷たい態度を取られると俺はどうなってしまうのか、自分でも自信がない。そういう危機的な状況だと脳のどこかが警告を発していた。
「そっか。そうだったね。……なんか、俺、一人で勝手に勘違いしてたみたい」
酷く冷めた声が、遠くで聞こえる。自分が発した声とは思えないほどだ。
胸中は煮えくり返るような興奮と、凍土のような冷静さの両方が不思議と同居して、目の前に差し出されたものを瞬時にズタズタにしてしまいそうな残酷な気持ちが俺を支配していた。
舞を見ないように机に肘をついて頭を乗せる。
――つーか、なんでこうなる……。素直じゃないのにも程があるだろ。
口を尖らせたまま目を瞑った。自分では気が長いほうだと思っていたが、今日の俺はダメだ。もしかすると本性は短気だったのかもしれない。
しばらくそのままの姿勢で苛立つ心を宥めていると、隣からか細い声が聞こえてきた。
「……だって、嫌だって言ったら……わがままになっちゃうもん」
ズキッと、心臓に矢が刺さったような痛みが走る。でもそれは甘くて痺れそうな痛みだった。
思わず俺は胸に手を当て、隣に向かって心の中で叫ぶ。
――舞、先にそれを言ってくれ!
姿勢を正して改めて舞を横目で見ると、肩をすぼめてかわいそうなくらい小さくなっていた。
さっきの冷たい言葉はたぶん舞なりに精一杯虚勢を張っていたのだろう。
――ヤッベー! マジでかわいいんだけど。
たぶん周囲に人がいなければ舞を抱き締めていたと思う。むしろ抱き締めただけで済んだら奇跡かもしれない。
俺はまた少し舞のほうへにじり寄った。
「嫌だって思ったんだ?」
わざとゆっくり言う。
舞は完全に顔を伏せて答えない。思わず笑みがこぼれる。これは絶対YESだな。
「嬉しいな。でも俺は好きな人の嫌がることはしたくない」
ようやく舞が顔を上げてこちらを見た。俺の言葉を確かめるような視線だ。
更に「それに俺は……」と続けようとしたところ、担任がやって来て慌しく朝の会が始まってしまった。
まぁ、言いたかったことは伝わったと思う。だから満足して今日も一日、舞とはできる限りよそよそしくして過ごした。
その日の午後最初の授業は体育だった。体育は男女それぞれ担当の先生が違う。勿論、授業も別々に行われる。マットや鉄棒などの器械体操系の授業だと体育館を一緒に使うこともあるが、今は男子が屋外のトラック競技で、女子は体育館でバレーボールをやっていた。
女子が体育館の更衣室へ移動してしまうと、教室内は男子専用更衣室になる。女子がいる前で堂々と着替え始めるヤツもいるが、俺は最低でも下だけは女子がいなくなってから着替えることにしていた。
ちょうどシャツを脱いだとき、既に着替え終わっていた菅原が近づいてきた。
ヤツの顔を見て俺はハッとした。
昨日「行かない」とメールしたきり、菅原とはまだ話をしていなかったのだ。田中に頼まれたドタキャン計画に乗るということは、つまり「やっぱり行く」と前言を翻さなければならない。
菅原に先んじようと口を開きかけたが、ヤツのほうが一瞬早かった。
「清水さぁ、彼女できた?」
「えっ?」
先を越された上、意外な第一声に言葉を失う。
俺の動揺を見逃さなかった菅原は、何かを納得したように「へぇ」と言いながら、隣の舞の机に半分だけ腰掛けた。
――そこに腰掛けるなっ!
垂れている目尻を更に下げてニヤける菅原に、俺はあからさまに嫌そうな顔をした。まぁ、コイツは俺の彼女が舞だということまでは気がつかないだろう。
それにしても、菅原の態度はいつでも俺の神経を逆撫でする。たぶん徹底的に気が合わないのだろう。合わない者同士が無理に仲良くしようとしても、どうせ上手く行かないのだ。だから菅原とつるむ気は毛頭ない。
「じゃあ、彼女連れて来いよ」
ニヤけたまま菅原は簡単に言った。俺は唖然とする。
「はぁ? 何のために?」
「いいじゃん。人数多いほうが楽しいし、みんなに紹介しろよ」
「嫌だね」
俺は下をジャージに履き替えながら突っ撥ねた。なぜ俺の彼女をみんなに紹介しなくてはならないのか、意味がわからない。
「なんだよ、秘密かよ。お前、しばらく彼女いなかったじゃん。今度はどんなかわいい子か、すげー気になるんだけど」
「悪いけど、めちゃくちゃかわいいよ」
「じゃあ、連れて来いって」
「嫌だ」
「……お前、ホントは彼女なんていないんじゃね? だから嫌だとか言うんだろ」
菅原は挑発するような視線をよこした。
――ダメだ。こんなヤツ、まともに相手にしたら……
しかし、次に俺の口から滑り出た言葉は俺の想いとはまるで正反対のものだった。
「うるせぇ。連れて行けばいいんだろ!? お前らの前でイチャイチャしてやるから覚悟してろよ!」
言ってからしまったと思ったが、もう遅い。
菅原が勝ち誇ったように隣でニヤリと笑った。
田中には悪いが、男に見つめられても全然嬉しくない。むしろ暑苦しい。
どうしたのかと思いながら眉をひそめると、田中はようやく意を決したように口を開いた。
「清水、なんで断った?」
「は?」
「昨日、菅原からメール行っただろ?」
「着たけど、そりゃ当然断るだろ」
そう言うと、田中は俺を恨めしそうに睨んだ。
「まぁ……お前はそうかもしれないけど」
やっと俺から視線を外して大げさにため息をつく。それからチラッと舞を見て、また俺を凝視した。
ちなみに舞は文庫本を開き、小説を読んでいるふりをしているが、俺たちの会話を盗み聞きしていることは間違いない。
「ぶっちゃけ、この際誰でもいい。俺は女子と遊びたい」
「ゴホッ、ゲホッ……」
突然舞が咳込んだ。俺たちに背を向けて肩を震わせている。だが俺には、笑いをこらえて苦しんでいる姿にしか見えない。
田中のあまりにも正直過ぎる本音の吐露に、俺も思わず苦笑した。
「お前は行けばいいじゃん」
「ダメだ。清水が来るって言わないと女子も来ない」
田中はまるでこの世の終わりが訪れたかのような絶望的な声を出した。
「他のヤツを誘えよ」
「他のヤツじゃダメなんだよ! とにかくお前が来ないと意味がないんだ」
「俺は行かない」
そう言ってから舞を見ると、表情を強張らせて本を見つめていた。心の中で心配すんな、と呼び掛けてみるが、残念ながら俺にテレパシーはない。
それにしても、いきなりこんなやっかいなことを吹っかけてきた菅原が憎かった。
「じゃあさ……」
背を丸めた田中は小声で言った。
「とりあえずお前も参加ってことにしておいて、当日他のヤツ連れて行くっていう案は?」
「ドタキャンか」
「だって、そうでもしないとお前抜きじゃこの計画、絶対フェイドアウトする……」
「そうまでして遊びたいか?」
「お前にはわからんだろうが、俺は女の子と遊ぶチャンスなんて滅多にないんだ。これを逃すと次はいつになることか……」
舞が顔を不自然に窓のほうへ捻る。たぶん笑いを噛み殺しているんだろう。
――ありがとう、田中。お前のおかげで舞が深刻にならずに済んでいるよ。
やはり持つべきものは少しおバカな親友だな、と再確認し、俺は田中の腕を叩いた。
「わかった。そこまで言うならドタキャン計画に乗ってやるよ。でも、俺は絶対行かないからな」
「助かるよ、清水! いや、清水様! 愛してる」
「キモッ!」
田中は細い目を更に細くして茶目っ気たっぷりの笑顔を見せたかと思うと、投げキッスの動作をして軽い足取りで去った。
それを見送ると深呼吸をして少しだけ舞のほうに肩を寄せた。
「ねぇ、心配した?」
囁くような声で訊く。舞がチラッとこっちを見た。
「何を?」
――うわぁ……、冷たい声。
俺の心は一気に震え上がった。テンションは急降下する。
舞は……怒ってる?
「他の女子と遊んでもいいの?」
「私には関係ないことですから」
――……関係……ない?
レンチか何かで思い切り頭を殴られたような感覚が俺を襲った。目の前がくらくらする。
舞の顔をまともに見ることができない。
これ以上彼女に冷たい態度を取られると俺はどうなってしまうのか、自分でも自信がない。そういう危機的な状況だと脳のどこかが警告を発していた。
「そっか。そうだったね。……なんか、俺、一人で勝手に勘違いしてたみたい」
酷く冷めた声が、遠くで聞こえる。自分が発した声とは思えないほどだ。
胸中は煮えくり返るような興奮と、凍土のような冷静さの両方が不思議と同居して、目の前に差し出されたものを瞬時にズタズタにしてしまいそうな残酷な気持ちが俺を支配していた。
舞を見ないように机に肘をついて頭を乗せる。
――つーか、なんでこうなる……。素直じゃないのにも程があるだろ。
口を尖らせたまま目を瞑った。自分では気が長いほうだと思っていたが、今日の俺はダメだ。もしかすると本性は短気だったのかもしれない。
しばらくそのままの姿勢で苛立つ心を宥めていると、隣からか細い声が聞こえてきた。
「……だって、嫌だって言ったら……わがままになっちゃうもん」
ズキッと、心臓に矢が刺さったような痛みが走る。でもそれは甘くて痺れそうな痛みだった。
思わず俺は胸に手を当て、隣に向かって心の中で叫ぶ。
――舞、先にそれを言ってくれ!
姿勢を正して改めて舞を横目で見ると、肩をすぼめてかわいそうなくらい小さくなっていた。
さっきの冷たい言葉はたぶん舞なりに精一杯虚勢を張っていたのだろう。
――ヤッベー! マジでかわいいんだけど。
たぶん周囲に人がいなければ舞を抱き締めていたと思う。むしろ抱き締めただけで済んだら奇跡かもしれない。
俺はまた少し舞のほうへにじり寄った。
「嫌だって思ったんだ?」
わざとゆっくり言う。
舞は完全に顔を伏せて答えない。思わず笑みがこぼれる。これは絶対YESだな。
「嬉しいな。でも俺は好きな人の嫌がることはしたくない」
ようやく舞が顔を上げてこちらを見た。俺の言葉を確かめるような視線だ。
更に「それに俺は……」と続けようとしたところ、担任がやって来て慌しく朝の会が始まってしまった。
まぁ、言いたかったことは伝わったと思う。だから満足して今日も一日、舞とはできる限りよそよそしくして過ごした。
その日の午後最初の授業は体育だった。体育は男女それぞれ担当の先生が違う。勿論、授業も別々に行われる。マットや鉄棒などの器械体操系の授業だと体育館を一緒に使うこともあるが、今は男子が屋外のトラック競技で、女子は体育館でバレーボールをやっていた。
女子が体育館の更衣室へ移動してしまうと、教室内は男子専用更衣室になる。女子がいる前で堂々と着替え始めるヤツもいるが、俺は最低でも下だけは女子がいなくなってから着替えることにしていた。
ちょうどシャツを脱いだとき、既に着替え終わっていた菅原が近づいてきた。
ヤツの顔を見て俺はハッとした。
昨日「行かない」とメールしたきり、菅原とはまだ話をしていなかったのだ。田中に頼まれたドタキャン計画に乗るということは、つまり「やっぱり行く」と前言を翻さなければならない。
菅原に先んじようと口を開きかけたが、ヤツのほうが一瞬早かった。
「清水さぁ、彼女できた?」
「えっ?」
先を越された上、意外な第一声に言葉を失う。
俺の動揺を見逃さなかった菅原は、何かを納得したように「へぇ」と言いながら、隣の舞の机に半分だけ腰掛けた。
――そこに腰掛けるなっ!
垂れている目尻を更に下げてニヤける菅原に、俺はあからさまに嫌そうな顔をした。まぁ、コイツは俺の彼女が舞だということまでは気がつかないだろう。
それにしても、菅原の態度はいつでも俺の神経を逆撫でする。たぶん徹底的に気が合わないのだろう。合わない者同士が無理に仲良くしようとしても、どうせ上手く行かないのだ。だから菅原とつるむ気は毛頭ない。
「じゃあ、彼女連れて来いよ」
ニヤけたまま菅原は簡単に言った。俺は唖然とする。
「はぁ? 何のために?」
「いいじゃん。人数多いほうが楽しいし、みんなに紹介しろよ」
「嫌だね」
俺は下をジャージに履き替えながら突っ撥ねた。なぜ俺の彼女をみんなに紹介しなくてはならないのか、意味がわからない。
「なんだよ、秘密かよ。お前、しばらく彼女いなかったじゃん。今度はどんなかわいい子か、すげー気になるんだけど」
「悪いけど、めちゃくちゃかわいいよ」
「じゃあ、連れて来いって」
「嫌だ」
「……お前、ホントは彼女なんていないんじゃね? だから嫌だとか言うんだろ」
菅原は挑発するような視線をよこした。
――ダメだ。こんなヤツ、まともに相手にしたら……
しかし、次に俺の口から滑り出た言葉は俺の想いとはまるで正反対のものだった。
「うるせぇ。連れて行けばいいんだろ!? お前らの前でイチャイチャしてやるから覚悟してろよ!」
言ってからしまったと思ったが、もう遅い。
菅原が勝ち誇ったように隣でニヤリと笑った。