一夜一緒にいれば、奪えるのに
キーマン 隆夫
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伯父の息子である、10も年上の従妹の隆夫とは、私が就職の際上京して一人暮らしをする時に、とても世話になった人である。
その時隆夫はまだ結婚もしていて、それなりに幸せそうな夫婦像を描いていたが、今は離婚し、広い部屋で寂しそうに暮らしている。ように見える。
はた目には、ウェブデザイナーとして会社を立ち上げ、良い暮らしをしているのだが、結婚していた時を知る私から見れば、今の生活はどん底のように見えた。
自宅は、高級マンションを借り、更に事務所は別のビルの中に入っていて実際お金には困っていないのが幸いか。
なんなら再婚すればいいのに、と私はどうでもいいことを考えながら、久しぶりにその高級マンションの玄関のドアの前に立った。
インターフォンを鳴らすと、中からすぐにロックが解除される。
「久しぶりー。あれあれ? 野瀬の件?」
「……こんばんは」
と、短い挨拶だけしてコンビニのビニール袋を持った私は、勝手知ったる我が家のように、スリッパを出して履いた。
午後9時の現在は自宅で寛いでいたと思うが、白いティシャツの上に黒い短いベストを羽織り、更にネックレスまでつけていた。これがデザイナーというものなのかもしれないと、いつも思う。
「野瀬の話だろ?」
言いながら、隆夫は本革のソファにどさりと腰かける。
私が、野瀬の話をしたことはない。なのに、既に見透かされていた。
「何で言ってないのに分かるの?」
「そりゃあまあ、血がつながってるから」
隆夫はメタルフレームメガネの奥でにこっと笑い、何故か腕の筋肉を作ってみせた。
実は、先日、野瀬から隆夫と知り合いだという話をしてきたのだ。更に隆夫が私と従妹だと話していたらしい。
だが今、私がこの家のインターフォンを押しただけで、隆夫は今日私がここへ来た理由を見切ったのである。本当に『血』というやつは恐ろしい。
「うん……」
私は、少し迷い気味に、視線を落とした。
「まあ、大人なんて、軽く言えば異性のことはみんな好きだから。何も心配しなくていいって」
「私、まだ何にも言ってないんですけど!」
私はいつもの調子の隆夫を睨む。
「まあまあ」
と、彼は笑いながら前で真ん中に分けた黒髪をさらりと揺らしてみせた。
「彼女いるとは言ってたけどね」
噂、本当だったんだ……。
「……知ってるよ」
「結婚するらしい」
私は見開いた目で隆夫を見つめた。
「冗談じゃないよ。本人が言ってた。最初から心に決めて、告白したって」
一気に生気が抜けて行き、口も完全に閉ざしてしまう。
「まあまあ。まだ結婚したわけじゃないし。それに、結婚しても、奪える可能性なんて、十分あるし」
「説得力ありすぎ」
隆夫の奥さんは、若い男と駆け落ちするように出て行ったらしい。そのことを思い出して、顔を逸らした。
「用は奪い方だよ。ココ、ココ」
再び、腕の筋肉を出す。
「……どうやって奪われたの?」
聞いてほしそうだったので、聞いた。
「よくは知らないけどまあ、俺より良かったんだろうね、色々」
その割に、聞いてほしくなさそうだったので逆に驚いた。
「前から知り合いだったの? 野瀬さんと」
「うーん、かれこれもう20年近くになるかな」
「えっ嘘ぉ!!」
「だよ。律儀な奴でさ、ばーさんが死んだ時も、線香あげにきたよ」
「えー!? 実家来たの!?」
「うん、10年前」
「…………」
そんなまさか、そんな早くに知り合える機会があったなんて……。
「だからあいつが朱莉(あかり)と同じ会社で働いてるとは知ってたけど、まさか部署まで同じとは知らなかったから」
「ってゆーか、何で自分の知り合いが私と同じ会社にいること言ってくれなかったのよ!!」
「いやまあ……タイミングもなかったし?」
隆夫は、宙を仰ぎながら言う。
「だよね……」
ほんとがっかりきた……ことは、溜息で吹き飛ばし、
「ビール買ってきたよ」
「え? 野瀬も呼べってこと?」
「違うよ! そりゃ3本あるけど、私、飲まないから!」
「あそう。じゃあ3本とも頂きます」
隆夫は何も迷うことなく、上等のプレミアムモルツの500ミリを見る間に半分ほど飲んでしまう。
「おつまみもあるよ……」
言いながら、ガラスのテーブルいっぱいに、するめをはじめとする、つまみになりそうなスナックや乾物を広げた。
「え、何―? この待遇の良さ」
ビールくらい持って来たことがあるにはあるが、ここまで隆夫のために何か考えてしたことは初めてかもしれない。
隆夫もそれにすぐに気付き、あからさまに不審がった。
「……今、呼んでとは言わないけどー。けど、呼べば来る仲なんでしょ?」
「まあ、飲みに行こうの一言で来るわな」
缶に口をつけたまま、こちらの出方をじっと待っている。
「この家にとかは無理?」
「……何考えてんの? お前」
隆夫はこちらを射抜くように更に見つめた。
「まあ、そんな、隆さんの印象が悪くなるようなことは考えてないけどー」
「お前の印象が悪くなるようなこともやめとけよ。同じ会社なんだから」
隆夫は大人の意見でもって制してくれる。だけど私は、それをすぐにはねのけた。
「私、今の会社辞めてもいい」
「はあー!? 何で? 野瀬のために?」
「って言われるとちょっと違うけど……」
「やめとけ、やめとけ。ちょっと飲みに行きたいくらいなら、俺が間入ってやるから。
そんなんなら今週でもいいぞ。別に」
そう言われると、ちょっと揺らいでしまう。
「相手は結婚する気満々で彼女に溺れてるんだぞ? そういう気の男を簡単には落とせないよ」
「…………」
「まあ、俺の嫁は落ちたけど、それはまあ、結婚して時間がかなりたってたっていうのもあるしな。あれが結婚する前の、しようとしてる時なら、絶対ありえないぞ、俺なら」
「…………それでもいい」
私は、テーブルを見つめたまま言った。
「……あいつは乗らないよ」
伯父の息子である、10も年上の従妹の隆夫とは、私が就職の際上京して一人暮らしをする時に、とても世話になった人である。
その時隆夫はまだ結婚もしていて、それなりに幸せそうな夫婦像を描いていたが、今は離婚し、広い部屋で寂しそうに暮らしている。ように見える。
はた目には、ウェブデザイナーとして会社を立ち上げ、良い暮らしをしているのだが、結婚していた時を知る私から見れば、今の生活はどん底のように見えた。
自宅は、高級マンションを借り、更に事務所は別のビルの中に入っていて実際お金には困っていないのが幸いか。
なんなら再婚すればいいのに、と私はどうでもいいことを考えながら、久しぶりにその高級マンションの玄関のドアの前に立った。
インターフォンを鳴らすと、中からすぐにロックが解除される。
「久しぶりー。あれあれ? 野瀬の件?」
「……こんばんは」
と、短い挨拶だけしてコンビニのビニール袋を持った私は、勝手知ったる我が家のように、スリッパを出して履いた。
午後9時の現在は自宅で寛いでいたと思うが、白いティシャツの上に黒い短いベストを羽織り、更にネックレスまでつけていた。これがデザイナーというものなのかもしれないと、いつも思う。
「野瀬の話だろ?」
言いながら、隆夫は本革のソファにどさりと腰かける。
私が、野瀬の話をしたことはない。なのに、既に見透かされていた。
「何で言ってないのに分かるの?」
「そりゃあまあ、血がつながってるから」
隆夫はメタルフレームメガネの奥でにこっと笑い、何故か腕の筋肉を作ってみせた。
実は、先日、野瀬から隆夫と知り合いだという話をしてきたのだ。更に隆夫が私と従妹だと話していたらしい。
だが今、私がこの家のインターフォンを押しただけで、隆夫は今日私がここへ来た理由を見切ったのである。本当に『血』というやつは恐ろしい。
「うん……」
私は、少し迷い気味に、視線を落とした。
「まあ、大人なんて、軽く言えば異性のことはみんな好きだから。何も心配しなくていいって」
「私、まだ何にも言ってないんですけど!」
私はいつもの調子の隆夫を睨む。
「まあまあ」
と、彼は笑いながら前で真ん中に分けた黒髪をさらりと揺らしてみせた。
「彼女いるとは言ってたけどね」
噂、本当だったんだ……。
「……知ってるよ」
「結婚するらしい」
私は見開いた目で隆夫を見つめた。
「冗談じゃないよ。本人が言ってた。最初から心に決めて、告白したって」
一気に生気が抜けて行き、口も完全に閉ざしてしまう。
「まあまあ。まだ結婚したわけじゃないし。それに、結婚しても、奪える可能性なんて、十分あるし」
「説得力ありすぎ」
隆夫の奥さんは、若い男と駆け落ちするように出て行ったらしい。そのことを思い出して、顔を逸らした。
「用は奪い方だよ。ココ、ココ」
再び、腕の筋肉を出す。
「……どうやって奪われたの?」
聞いてほしそうだったので、聞いた。
「よくは知らないけどまあ、俺より良かったんだろうね、色々」
その割に、聞いてほしくなさそうだったので逆に驚いた。
「前から知り合いだったの? 野瀬さんと」
「うーん、かれこれもう20年近くになるかな」
「えっ嘘ぉ!!」
「だよ。律儀な奴でさ、ばーさんが死んだ時も、線香あげにきたよ」
「えー!? 実家来たの!?」
「うん、10年前」
「…………」
そんなまさか、そんな早くに知り合える機会があったなんて……。
「だからあいつが朱莉(あかり)と同じ会社で働いてるとは知ってたけど、まさか部署まで同じとは知らなかったから」
「ってゆーか、何で自分の知り合いが私と同じ会社にいること言ってくれなかったのよ!!」
「いやまあ……タイミングもなかったし?」
隆夫は、宙を仰ぎながら言う。
「だよね……」
ほんとがっかりきた……ことは、溜息で吹き飛ばし、
「ビール買ってきたよ」
「え? 野瀬も呼べってこと?」
「違うよ! そりゃ3本あるけど、私、飲まないから!」
「あそう。じゃあ3本とも頂きます」
隆夫は何も迷うことなく、上等のプレミアムモルツの500ミリを見る間に半分ほど飲んでしまう。
「おつまみもあるよ……」
言いながら、ガラスのテーブルいっぱいに、するめをはじめとする、つまみになりそうなスナックや乾物を広げた。
「え、何―? この待遇の良さ」
ビールくらい持って来たことがあるにはあるが、ここまで隆夫のために何か考えてしたことは初めてかもしれない。
隆夫もそれにすぐに気付き、あからさまに不審がった。
「……今、呼んでとは言わないけどー。けど、呼べば来る仲なんでしょ?」
「まあ、飲みに行こうの一言で来るわな」
缶に口をつけたまま、こちらの出方をじっと待っている。
「この家にとかは無理?」
「……何考えてんの? お前」
隆夫はこちらを射抜くように更に見つめた。
「まあ、そんな、隆さんの印象が悪くなるようなことは考えてないけどー」
「お前の印象が悪くなるようなこともやめとけよ。同じ会社なんだから」
隆夫は大人の意見でもって制してくれる。だけど私は、それをすぐにはねのけた。
「私、今の会社辞めてもいい」
「はあー!? 何で? 野瀬のために?」
「って言われるとちょっと違うけど……」
「やめとけ、やめとけ。ちょっと飲みに行きたいくらいなら、俺が間入ってやるから。
そんなんなら今週でもいいぞ。別に」
そう言われると、ちょっと揺らいでしまう。
「相手は結婚する気満々で彼女に溺れてるんだぞ? そういう気の男を簡単には落とせないよ」
「…………」
「まあ、俺の嫁は落ちたけど、それはまあ、結婚して時間がかなりたってたっていうのもあるしな。あれが結婚する前の、しようとしてる時なら、絶対ありえないぞ、俺なら」
「…………それでもいい」
私は、テーブルを見つめたまま言った。
「……あいつは乗らないよ」