一夜一緒にいれば、奪えるのに

隆夫の作戦

 一番大切なことは、ただ一つ。

 自然を装うこと。

 私は、隆夫のマンションの前で深呼吸をしてから、決心してインターフォンを押した。

 隆夫からの連絡で、この部屋の中には既に野瀬1人がいることは、間違いない。

 私は、インターフォンのモニターから自分が見られていることを意識しながら、もう一度ボタンを押す。

 野瀬はまず、午後7時の約束で隆夫に呼び出されたのにもかかわらず、会社からの連絡で家を出た隆夫に留守を押しつけられ、1人家で飲みながらテレビを見ている。

その後隆夫からの連絡で、私が預かり物を持って来るので預かるように指示を受ける。

そして、隆夫から何も聞かされていない私が、野瀬がいることに驚き……、という隆夫が考えたストーリーだった。

 まず、モニターで会話をするかなと思っていたが、先にドアが開いた。

 ガチャ……。

 その先にもし隆夫がいたら、殴ろうと思っていた。

その可能性だって、ないとはいえない。

だが、目の前にいたのは、白いティシャツにジーパン、メガネをかけていない、まるでどこかのモデルのような美形でスタイルの良い……。

「隆夫さんから連絡あって……」

 いつもの野瀬の雰囲気とは違う、あまりにも素敵すぎるその全身に、我を忘れるほどだった。

「あれっ、聞いてない?」

「えっ、あっ、えっ……」

 自分で仕組んでおきながら、設定も忘れていた。

「いやなんか、隆夫さんが、堺さんが何か持ってくるからって」

「あっ、ああ……。そうなんです」

 私は、これでセリフが合っているかどうか考えながら、A4の分厚い封筒を紙袋から出した。

「いないんですか? 隆さん。どうしよかな。本人に渡すように言われてるんですけど」

「あ、そうなの? 隆夫さんは僕が預かってくれればいいって言ってたけど。

 大事な書類か何か?」

「現金700万です」

 野瀬はかなり驚いた表情になり、次いで、辺りの廊下をきょろきょろ見渡して、

「中、入った方がいいんじゃない?」

 さすが、隆夫の作戦はうまくいったようだ。

「私もさっきから、怖いです」

 野瀬はすんなり私を家に上げてくれる。

「え、そのこと隆夫さん知ってるの?」

 背の高い野瀬は、玄関先で見下ろすように聞いてくる。

「隆さんのお母さんから預かって。本当は昼にお母さんが直接渡すはずだったそうですけど、会社から出られなくて渡せなかったって。で、私が一旦預かってたんです」

「なんで振込にしなかったんだろう」

 さすが野瀬は、隆夫が予想した通りのセリフを口にした。

「お母さんATM使えないらしくて。もう70過ぎてますから」

 実は、過ぎてはない。

「あそう……。え、これ置いてくの?」

 野瀬は不安そうに聞いた。

「お母さんは本人に渡してほしいって言いましたけど……」

「ちょっと待って。隆夫さんに確認するから」

 野瀬はすぐにスマートフォンをジーパンのポケットから出すと、指で操作し、隆夫に繋いだ。

「もしもし、隆夫さん? あの、堺さんが現金700万預かってきてますけど……」

 私は、横目で野瀬のジーパンから出た素足やら、ズボンのベルトを見ながらその一部始終を静かに待った。

「え゛、マジですか!?」

 おそらく、隆夫が、今から大阪に行くことになって今夜は帰れない、しかもキャッシュカードなどは自分が携帯しているし、大阪から帰って来るまでそこでついてやってほしい明日の夕方には帰るから、と予定通り言ったんだろう。

「えっとそれ……」

 野瀬は言葉に詰まっている。

「あの、隆夫さんは何て?」

 野瀬の顔は真剣そのものだった。

「隆夫さん明日の夕方じゃないと帰れないし、キャッシュカードとか持って出てるって。だから、堺さんについてあげててって言ってるけど……」

「…………」

 あまりにも野瀬が困っている気がして、言葉が出なかった。

「……もしもし、今どこですか? ……そうですか……。あの、でもこれはちょっとマズイんじゃないかと思いますけど……」

『何が?』 

 隆夫の声が小さく聞こえた。

「僕は別に、構いませんけど……」

『野瀬がいいならいいよ。それよりこっちは現金が心配だから。朱莉のことだ。母さんから預かって、その辺うろうろして、変なのが後ろから付いて来てなきゃいいんだけど。
 オートロックだけど、今家の中だよな?』

「あ、はい」

 返事をしながら、野瀬はドアノブを捻って施錠されていることを確認した。

『今更母さんに返すのも余計心配だし、若い男がいた方が助かるんだよ。

 それに俺は野瀬のこと、信用してるし』

 これは今度、ビール3本では済まないな……。なんとも饒舌な隆夫が、今は半分、恐ろしい。

「堺さんは、いいんですか……?」 

 私に聞いているのかと思ったがそうではなく、電話口の隆夫に聞いているようだ。

『うん、いんじゃね? お前のこと、好きだって言ってたし』

 2人の空気が停止した。

 もちろん私は聞こえていないふりをする。

『あれ? 電波悪いかな……おーい』

「あっ、はい……」

『たとえ朱莉が野瀬のこと嫌いでも、今は確実にいてほしいけどね。

 けど、もし野瀬1人でそこにいて、マジ何かあったら悪いし。それなら、朱莉でもいないよりマシだろうし』

「そう……ですね……」

『悪いな、他に頼れる人がいなくて。父親も今入院しててな。他にそこ来てくれそうな人がいないんだわ』

 何でもかんでも出してくるなあ……。

「解りました」

 としか、言えないよなあ……。

『あ、お前の彼女にはナイショにしとくよ。誤解されるといけないし。

あれ? そういうこと気にしてんだろ?』
 
さすが、抜かりない。

「気にならないわけじゃ、ないですけど」

『平気、平気。飯とかは朱莉に任せればいいから。買い物も丁度昨日行ったし。じゃあな、ほんっと悪いな』

 そこで電話は切れた。

 はー……なんつー人だ……。

 父親が入院など実話がしっかり出てきて、話を現実に戻してはいるが、さすが社長はすごいね、嘘がうまい。

「………………」

 野瀬の視線を感じた。もしかしたら、これが仕組まれたことだと気付いたのかもしれないと、身が固まる。

「堺さん、帰っていいよ。預かるから」

「えっ……」

 思いもよらない言葉に、顔を上げた。

「だってやっぱりそんなわけにいかないよ。2人で現金見張らなくても、僕1人で充分だし」

「……けど私、お母さんに……」

 自分で言って自分で気付いた。そうだ、お母さんにそう言われたことにしたんだった。

「あそうか」

 本人も思い出し、納得する。

「まあ、堺さんとは同じ会社にいるけど、めちゃくちゃ親しいわけじゃないしね。信用されなくても仕方ないか」

 野瀬はそのまま廊下の奥へ進もうとする。

「いえっ、あの、そんなだって、課長だし。信用するとかしないとか、そういうわけではないんですけど」

 どうしよう、どう言えばいいだろう。隆夫のように、うまく流れていかない。

「いや、いいんだよ。もし彼女にバレた時は、そう言い訳するから」

  心臓が、ズキンと、痛くなる。見透かされて、言われているような気がして、動けなかった。

 野瀬はもうリビングに入ってしまっている。

 今さら、どうしようという迷いが心に生まれた。

「あれ? こっち来たら?」

 野瀬がリビングから顔を出してこちらを覗いた。

「あ、はい……」

 やっぱり、素直に従って靴を脱いでしまう。

 こんなチャンス、もう二度と訪れることはない。

 一生に一度のチャンス、やっぱりこれを、逃すわけいはいかないんだ。

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