キスでさよなら~マジョの恋
「来てたか」
エレベーターを降りるなり、明は低くつぶやいた。
みると、人だかりができている。
シャッターの音が立て続けに響きわたる。フラッシュが焚かれるさきにいたのは、最近系列のCMでよく見かける女性だった。
つい最近まで明がつきあっていた人だから、よくよく注意して見ていたというのもある。彼女の好きなもの、嫌いなもの。雑誌のインタビューを読んで贈り物を考えるのは、美紀の仕事だったからだ。
薔薇の花束をもらうと、本当にうれしい。
記事で読んだのは確かだ。
発注した薔薇百本の花束。どこが気に入らなかったんだろう。
「社長」
「静かに」
明は押し殺した声で言った。
「ここで見ていよう」
柱の影に隠れるなんて、情けない。フられたなら、フられたで、堂々としていればいいものを。
「四谷さん、ご婚約が間近だというウワサですが」
投げかけられた質問も、答える人が口ごもるのも聞き取れる場所だった。美紀は耳を澄ませた。
明が二股をかけられ、天びんに乗せられた上で捨てられたのなら、多少は同情の余地もある。
「薔薇を百本、花束にしたのをいただきました」
どよめきが起こった。女性陣からはうっとりしたため息。
(薔薇百本の花束?)
「でも、残念ながら、フられてしまいました」
さらに大きなざわめきが広がった。
美紀は壁に明を押しつけて、胸ぐらをつかみあげた。
「社長、どういうことです」
腹が煮えくり返る思いだった。
「四谷まどかをフるなんて、正気ですか」
美紀は早口でささやいた。
正気のはずがない。清純派にして好感度抜群、CMで長いさらさらの髪を風になびかせ、透明感のある微笑で人気をさらったあの人。
明はいやそうな顔で唇をひん曲げていた。
「政略結婚ってやつだよ。四谷さんは、城田と関係が深い会社の令嬢だ。城田のCMに彼女を起用したのだって、偶然なんかじゃない。そういういきさつがあって、断るにも、断れないだろう」
目をのぞいてみると、どこかこの状況を他人事のように思っているのが透けて見える。美紀はうんざりした。
「ファストフードで食事して、電車で移動。そんなのであきれてくれるかと思ったんだよ。なのに、あの子は居酒屋なんかかえってめずらしかったみたいで、気に入ってはもらえたんだけど」
駅前の大衆居酒屋に四谷まどかを連れて行ったのか。たしかに、彼女は珍しがりそうだ。
「もったいない」
人の波がひいたのをこれ幸いと、そっとその場を離れると、背後から声をかけられた。
「明さん?」
振り返ると、胸元のあいた白いドレスをまとった三谷まどかがそこにいた。清楚で、におうような色気がある。美紀の着ているものと、デザインも色も同じに見えるが、どうも美紀は彼女ほど完璧に着こなせているという自信はまったくなかった。
「四谷さん、こんばんは」
明はさっきまでの情けない表情をしまって、ほほえんだ。
「もうお帰りになるの?」
残念そうな声で聞きながら、美紀へ視線をむけてくる。何気なく見ているようで、どこか好奇を押さえきれないようなまなざしだ。
無関係です、そう叫びたかった。
しかし、明が美紀を「恋人」としてともなっている手前、そんなことを言ったら収集がつかなくなりそうだ。
「そう、この方が・・・・・・」
「古い知り合いです。学生の頃からの」
明はため息を混ぜながら言った。
「独立の時も、縁があって助けてもらいました。この人はおれのことを弟か何かと思って、ちっとも振り向いてくれなかったんですよ。あなたのおかげで、ようやく、口説く勇気が出ました」
ほほえみを口元に張り付けながら、うなずき聞いていた美紀は、ふと歩み寄ってきた人に手を取られ、握りしめられた。四谷まどかが、熱心にこちらをみつめている。
ひんやりとした手はすべすべで、近づくといい匂いがした。
「美女木さん、明さんをよろしくおねがいします」
「はあ・・・・・・ええ?」
しみひとつない肌を、黒々とした瞳をみつめていると、なにかとんでもない場違いなところにいるようで、めまいがした。
「薔薇の花束、ありがとうございます。わたしの好きな花をご存じでいらして、うれしかった。明さんは、兄のような方で、わたしの知らないことをたくさんご存じです。そんな明さんが、頼りにしていらっしゃる女性に、いつかお会いしたいと思っていました」
「あの、私はそんなんじゃ」
「いいんです。何もおっしゃらなくても。どうか、お幸せに」
「きみも」
笑顔で髪を揺らし、去る後ろ姿もうつくしい。
わかったのは、明が愚か者だと言うことだけだ。
美紀は、腹を立てながら明をにらみあげた。
ひどくのどが渇いていた。炭酸水だと思ってあおったのが、ワインだったことに一口含んで気づいたが、かまわず飲み干した。
「うそも、ここまでくると笑えますね」
政略結婚がいやで、美紀をだしにして同情をかい、フるようにし向けたのだ。たしかに、あの人にとってはこのほうがいいかもしれない。うそつきで軟弱で愚か者と結婚するよりは。
「ひどいな。マジョさんは、おれのことをそんな風に思ってたの?」
顔を背けると、明はつぶやいた。
「ぜんぶうそなわけじゃない」
「好きでもないくせに、私のことをよくも恋人なんて紹介できたものね」 そこまでして守りたいものが、まったく見えてこない。政略結婚だってなんだって、そこまでして逃げたがるわけがわからない。
「これからそうなるんだから、かまわないだろ」
冗談じゃない。
「本当に欲しいものしか、いらないんでしょう」
その舌の根がかわかないうちに、そんなことを平気な顔をして言う明が信じられなかった。
「軽率で、誠実じゃないわ、そんなの。今日という今日は、心底あきれました」
「マジョさんに、男のことがわかるっていうの?」
明はふしぎそうに言った。
「おれのことが、わかるっていうの? 話もよく聞かないで。不実か誠実かなんて、きみにわかるのか?」
かっとなって、美紀は思わず声を大きくした。
「誠実じゃないってことは確かね」
周りの人が振り向く。どう思われようともかまわなかった。明に振り回された一日の終わりに、すこし自由にふるまったってばちは当たらないだろう。
「もう、帰る」
「どこに行くんだよ」
「さよなら」
美紀は会場を出て、歩き出した。
エレベーターを降りるなり、明は低くつぶやいた。
みると、人だかりができている。
シャッターの音が立て続けに響きわたる。フラッシュが焚かれるさきにいたのは、最近系列のCMでよく見かける女性だった。
つい最近まで明がつきあっていた人だから、よくよく注意して見ていたというのもある。彼女の好きなもの、嫌いなもの。雑誌のインタビューを読んで贈り物を考えるのは、美紀の仕事だったからだ。
薔薇の花束をもらうと、本当にうれしい。
記事で読んだのは確かだ。
発注した薔薇百本の花束。どこが気に入らなかったんだろう。
「社長」
「静かに」
明は押し殺した声で言った。
「ここで見ていよう」
柱の影に隠れるなんて、情けない。フられたなら、フられたで、堂々としていればいいものを。
「四谷さん、ご婚約が間近だというウワサですが」
投げかけられた質問も、答える人が口ごもるのも聞き取れる場所だった。美紀は耳を澄ませた。
明が二股をかけられ、天びんに乗せられた上で捨てられたのなら、多少は同情の余地もある。
「薔薇を百本、花束にしたのをいただきました」
どよめきが起こった。女性陣からはうっとりしたため息。
(薔薇百本の花束?)
「でも、残念ながら、フられてしまいました」
さらに大きなざわめきが広がった。
美紀は壁に明を押しつけて、胸ぐらをつかみあげた。
「社長、どういうことです」
腹が煮えくり返る思いだった。
「四谷まどかをフるなんて、正気ですか」
美紀は早口でささやいた。
正気のはずがない。清純派にして好感度抜群、CMで長いさらさらの髪を風になびかせ、透明感のある微笑で人気をさらったあの人。
明はいやそうな顔で唇をひん曲げていた。
「政略結婚ってやつだよ。四谷さんは、城田と関係が深い会社の令嬢だ。城田のCMに彼女を起用したのだって、偶然なんかじゃない。そういういきさつがあって、断るにも、断れないだろう」
目をのぞいてみると、どこかこの状況を他人事のように思っているのが透けて見える。美紀はうんざりした。
「ファストフードで食事して、電車で移動。そんなのであきれてくれるかと思ったんだよ。なのに、あの子は居酒屋なんかかえってめずらしかったみたいで、気に入ってはもらえたんだけど」
駅前の大衆居酒屋に四谷まどかを連れて行ったのか。たしかに、彼女は珍しがりそうだ。
「もったいない」
人の波がひいたのをこれ幸いと、そっとその場を離れると、背後から声をかけられた。
「明さん?」
振り返ると、胸元のあいた白いドレスをまとった三谷まどかがそこにいた。清楚で、におうような色気がある。美紀の着ているものと、デザインも色も同じに見えるが、どうも美紀は彼女ほど完璧に着こなせているという自信はまったくなかった。
「四谷さん、こんばんは」
明はさっきまでの情けない表情をしまって、ほほえんだ。
「もうお帰りになるの?」
残念そうな声で聞きながら、美紀へ視線をむけてくる。何気なく見ているようで、どこか好奇を押さえきれないようなまなざしだ。
無関係です、そう叫びたかった。
しかし、明が美紀を「恋人」としてともなっている手前、そんなことを言ったら収集がつかなくなりそうだ。
「そう、この方が・・・・・・」
「古い知り合いです。学生の頃からの」
明はため息を混ぜながら言った。
「独立の時も、縁があって助けてもらいました。この人はおれのことを弟か何かと思って、ちっとも振り向いてくれなかったんですよ。あなたのおかげで、ようやく、口説く勇気が出ました」
ほほえみを口元に張り付けながら、うなずき聞いていた美紀は、ふと歩み寄ってきた人に手を取られ、握りしめられた。四谷まどかが、熱心にこちらをみつめている。
ひんやりとした手はすべすべで、近づくといい匂いがした。
「美女木さん、明さんをよろしくおねがいします」
「はあ・・・・・・ええ?」
しみひとつない肌を、黒々とした瞳をみつめていると、なにかとんでもない場違いなところにいるようで、めまいがした。
「薔薇の花束、ありがとうございます。わたしの好きな花をご存じでいらして、うれしかった。明さんは、兄のような方で、わたしの知らないことをたくさんご存じです。そんな明さんが、頼りにしていらっしゃる女性に、いつかお会いしたいと思っていました」
「あの、私はそんなんじゃ」
「いいんです。何もおっしゃらなくても。どうか、お幸せに」
「きみも」
笑顔で髪を揺らし、去る後ろ姿もうつくしい。
わかったのは、明が愚か者だと言うことだけだ。
美紀は、腹を立てながら明をにらみあげた。
ひどくのどが渇いていた。炭酸水だと思ってあおったのが、ワインだったことに一口含んで気づいたが、かまわず飲み干した。
「うそも、ここまでくると笑えますね」
政略結婚がいやで、美紀をだしにして同情をかい、フるようにし向けたのだ。たしかに、あの人にとってはこのほうがいいかもしれない。うそつきで軟弱で愚か者と結婚するよりは。
「ひどいな。マジョさんは、おれのことをそんな風に思ってたの?」
顔を背けると、明はつぶやいた。
「ぜんぶうそなわけじゃない」
「好きでもないくせに、私のことをよくも恋人なんて紹介できたものね」 そこまでして守りたいものが、まったく見えてこない。政略結婚だってなんだって、そこまでして逃げたがるわけがわからない。
「これからそうなるんだから、かまわないだろ」
冗談じゃない。
「本当に欲しいものしか、いらないんでしょう」
その舌の根がかわかないうちに、そんなことを平気な顔をして言う明が信じられなかった。
「軽率で、誠実じゃないわ、そんなの。今日という今日は、心底あきれました」
「マジョさんに、男のことがわかるっていうの?」
明はふしぎそうに言った。
「おれのことが、わかるっていうの? 話もよく聞かないで。不実か誠実かなんて、きみにわかるのか?」
かっとなって、美紀は思わず声を大きくした。
「誠実じゃないってことは確かね」
周りの人が振り向く。どう思われようともかまわなかった。明に振り回された一日の終わりに、すこし自由にふるまったってばちは当たらないだろう。
「もう、帰る」
「どこに行くんだよ」
「さよなら」
美紀は会場を出て、歩き出した。