俺と初めての恋愛をしよう
出迎えたのは男性の美容師だ。今日子は一瞬で少し緊張した面持ちになる。植草はそれを見逃さない。今日子の不安を消すように、背中に手を置く。
此処に後藤がいたら、大変なことになっていただろう。

「こんにちは。電話で話しておいた友人の林さん。今日は飛びきり綺麗にしてくださいね」

植草の後ろに控えていた今日子を前にうながす。

「畏まりました。お任せください。では、このお客様カードにご記入をお願いします。あとお荷物をお預かりします」
「あの、先生、私、やっぱり……」

 高揚した気分でここまできたが、やはりボーダーラインを超える勇気がない。
今日子は、植草に帰りたいと訴えようとした。

「林さん、大丈夫よ。一日に何人の女性をカットしていると思っているの? それに、彼はベテラン。延べ人数にしたらすごい数よ? 顔なんて憶えていないわ、憶えているのは髪だけよ。大丈夫」

植草は、今日子が躊躇することをわかっていた。だから、こうなることは計算のうちだった。
なだめることはできない。本人が勇気を出さない限りその一歩は踏み出せないのだ。軽く背中を押すつもりで冗談を交え、今日子を励ます。

「わかりました。あの、よろしくお願いします」
「畏まりました」

持っていたバッグを渡し、顧客台帳に名前を記入した。
店の一番奥のカット台に案内されケープを付けた。

< 78 / 190 >

この作品をシェア

pagetop