赤い狼 伍





「それじゃあ稚春さんは少しだけ休ませていただきます。」


「どうぞどうぞ、ごゆっくりです、稚春嬢ちゃん。」



にこり、みどりが微笑む。
それに少しだけ顔が綻び、「また後でフルーツいっぱい食べさせてね。」食い意地を少し張って酔っぱらい達に気付かれないように部屋を出た。


ヒンヤリ。風の通りのいい廊下の床が私の足先から体温を奪っていく。

あー、このままここに突っ立ってたら足が青白く変色しそうだなーとボンヤリと思いながら部屋に進んでいっている時だった。




―――カタン。



微かに、音がした。




「……………えっ?」





それから数秒後、その物音の原因に目を見開いた私の視界が大きな何かで塞がれ、目の前が真っ暗なまま




「なん「………しばらくだけ、おやすみ。」」




とん、と。



首に衝撃が走り、そのまま眠りについた。





そう、この時の私は知らなかったんだ。
いや、知っているつもりでいたんだ。

誰がどんな気持ちでいたのかも。
私の居場所を誰が知っているのかも。
私のことを大切に思ってくれている人が居ることも。


何もかも。






―――――――
――――
――



―――――夢が曖昧になる。記憶が奥深くまで、落ちていく。




『ねぇね、おかーさん、遊ぼ?』



少女が無邪気に女の人に甘えた目を向ける。その視線の先の女の人は申し訳なさそうに、困ったように笑う。



『無理なのょ、ゴメンね。』


『なんでなんで?何で無理なの?ダメなの?』


『………んー、そうね。お母さんも遊びたいんだけど、ね。……体が動かないのよ。』


『動かないの?』


『そうよ、動かないの。』


『じゃあ私がお利口にしてたらおかーさんは動けるの?』



おかーさん、と少女に呼ばれる女の人はその言葉を聞いて目を細めた。



『………そうね、そんなことしなくていいわよ。稚春は。お利口にしてても治らないものは治らないから。』


『……えへ…、そっかぁ。』



女の人が『うん。』と微笑む。だけれど穏やかな母親とは違い、少女は秘かに口をひきつらせていた。



少女が喉元で、母親に尋ねようとした切ない思いを止める。





―――ワタシハ オカアサンニ ナニモデキナイ ヤクタタズ?







< 30 / 34 >

この作品をシェア

pagetop