美容師男子×美麗女子





どん、とそいつの肩を押してやる。


「・・・・・・何」


そいつはポケットに手を入れたまま、あたしを迷惑そうに見下ろした。


「千尋さ、案外女子に人気あるんじゃん。“黒の貴公子”なんて呼ばれちゃってさ」

「俺、そんな風に呼ばれてんの?それは初耳だ」

「あたし、笑っちゃった。だってあんたさ、貴公子じゃなくて美容師志望でしょ」


あたしがそう言うと、千尋もつられて笑った。


「それは確かに」


シャーってあたしの横を自転車が通り抜ける。

後ろでカップルの声がする。

信号でタイミング悪く止まってしまった運転手の顔が歪む。

隣の千尋は頭をぐしゃぐしゃしながらあくびをした。


「千咲ってさぁ、毎日が不幸そうだよな」


あくびで出たらしい涙を拭きながら、千尋はふざけたみたいに言った。

うん、そうよ。幸せなはずがないでしょ、こんな状況が。言いかけた言葉を飲み込んだ。


「千尋は幸せそう、腹立たしいくらい」

「そりゃどうも」


あたしは千尋にあたしのことを何も喋ってない。

あたしがやってる仕事も、あたしの事情も、あたしの性格も。

だけど、今あたしが幸せじゃないってことは分かるみたいだ。

あたし、そんなに顔に出てたかな。


赤信号がぱっと青に変わった。

千尋の後ろに着いていくようにして、あたしは歩きだす。



< 32 / 210 >

この作品をシェア

pagetop