美容師男子×美麗女子
どん、とそいつの肩を押してやる。
「・・・・・・何」
そいつはポケットに手を入れたまま、あたしを迷惑そうに見下ろした。
「千尋さ、案外女子に人気あるんじゃん。“黒の貴公子”なんて呼ばれちゃってさ」
「俺、そんな風に呼ばれてんの?それは初耳だ」
「あたし、笑っちゃった。だってあんたさ、貴公子じゃなくて美容師志望でしょ」
あたしがそう言うと、千尋もつられて笑った。
「それは確かに」
シャーってあたしの横を自転車が通り抜ける。
後ろでカップルの声がする。
信号でタイミング悪く止まってしまった運転手の顔が歪む。
隣の千尋は頭をぐしゃぐしゃしながらあくびをした。
「千咲ってさぁ、毎日が不幸そうだよな」
あくびで出たらしい涙を拭きながら、千尋はふざけたみたいに言った。
うん、そうよ。幸せなはずがないでしょ、こんな状況が。言いかけた言葉を飲み込んだ。
「千尋は幸せそう、腹立たしいくらい」
「そりゃどうも」
あたしは千尋にあたしのことを何も喋ってない。
あたしがやってる仕事も、あたしの事情も、あたしの性格も。
だけど、今あたしが幸せじゃないってことは分かるみたいだ。
あたし、そんなに顔に出てたかな。
赤信号がぱっと青に変わった。
千尋の後ろに着いていくようにして、あたしは歩きだす。