パパはかわら版
この頃は、江戸時代のある時期なのだが、瓦版は、それまでは、ていへんだていへんだと、騒ぐだけの号外版のようなものだった。しかし、吉宗公の改革により、一般庶民が、幕府に提言書をだせるようになり、情報公開に前向きな姿勢をとっていた。そのために、瓦版も、新聞のようなものになり、橋龍が所属する平凡屋は、そのなかでも、一番大きな瓦版屋だった。大体、昼時に、30分間、日本橋で、公開で解説するのが、橋龍の日課になっていた。おもに、財政を司る勘定奉行と江戸を取り仕切る町奉行を取材して、その内容を市民に知らせていたのだ。ただ、先頃大老になった、酒井直弘は、金品の授受には、悪評の高い人物で、とくにその温床になりかねない、勘定奉行所への取材は、かなり厳しいものになりつつあるというのが、瓦版屋の悩みでもあった(という設定です)。ちなみに、橋龍は、資産家の息子で、その遺産分けがあって、流行の高級長屋に居を構えていた。彼は、瓦版屋では、記事の選定と解説をしていたために、日本橋では顔と言っていい存在だった。瓦版屋は、世襲ではなかったので、彼は自由な発言を繰り返したが、上司の有吉もそれには、苦労したのだった。