神さまに選ばれた理由(わけ)
案の定、メールには「病気になって家族に愛されて幸せ者だと、気づくことなどたくさんあると思います。」と医師は
書いてきた。確かにそうだった。
夫はまるで明日私が死ぬとでも言われたみたいにやさしくなった。
細かい気ずかいなんて無用の人だったのに
転ばないように常に気を使い、家事も半分くらい代わってくれた。
両親が死んで親代わりのたった一人の兄も「大丈夫?」かと日に3回はメールを寄越す。
「通勤が1番たいへん!」と私が言ったからだろう。
2人とも先生から話を聞いた後だ。
「なんて伝えくれたんだろう?今までとは変わりすぎ・・・・・」
こっちがとまどっちゃう。病気だからって突然甘えられるわけがないのだ。
いままでそうしてこなっかったのだから・・・・
「若いんだな・・・」

仕事は続けた。
通勤はやはり命懸けだったが夫に駅まで送ってもらいながらなんとか頑張った。
でも電車の中では立ちっぱなしで、かつて自分がそうだったように杖を持っている人間を見ても
席など譲ってくれるサラリーマンは少ない。

降りてからも会社に着くまで普通なら10分の距離でももつれる足では
こたえた。歩道は狭く、後ろから前から自転車がブンブンとばしてくる。
ふらつきながら歩いていると
いつ突っ込まれても不思議ではない。
普通に生きてるだけなのにどうしてこんなにもつかれるのか?
歩くだけでも転ばないように気をつけるとエネルギーは倍だ。
家事もそうだった。
2人の食べ盛りの男の子のお弁当作りは朝から重労働。
そのあと通勤するのにもうエネルギーが残っていない。
夜も塾で帰りが遅いのでペコペコになっているお腹を
満たすのは母の役目。何時になろうが、用意しなければならない。
食事だけではない部活で使ったユニホームの洗濯も毎晩だ。
なんやかんやで寝るのは25時をまわる。
そもそも病気になっている暇はないのだ。
でも動けなくなればそういうわけにはいかない。
お弁当も作ってやれなくなるのだ。下の子が大学生になるまで
後6年がんばれるだろうか?
小学校の卒業式の前日、初めて家で転び左顔面を強打した。
あざにならないように冷やしたり、マッサージしてたいへんだった。
それなのに当日は目頭にあざが出て、顔は腫れ、まるでDVを受けた主婦だった。

3月に退院後初めての外来があった。
病院も先生にも2箇月ぶりで、ましてやはじめてのことがいっぱいおきて
聞いて欲しいことはたくさんあったが、診察はあっさり終わった。
メールで言いたいこと言っていたので少々こそばゆい感じもあったのだ。
だから近況を報告したらそれで帰った。先生もやんちゃに笑う人だったが
その笑顔はなかった。疲れているようにも見えた。
帰りの新幹線の中なんだかさみしい感はあった。

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