神さまに選ばれた理由(わけ)
4月に入り家族写真を撮った。
中学の入学式前に恒例なのだ。上の子の時も撮った。5年振りだ。
でも今回は以前よりも思い入れがあった。
私が母としてここに映れるのは最後かもしれない。
次の5年後は母親は出来ていないだろう。
ここに座っているだけかもしれない。
顔も変わっているだろう。
私が目指した可愛いママの姿は消えてるかもしれず、あるのは
病人のそれかもしれない。2人の子供達に
忘れないでいてほしいのだ。たとえ命が尽きても
私がいたことを・・・・・。
そう思うくらい今回は本気でせっぱつまっていた。

GWの最初の日、美容院に行こうとして初めて屋外で転んだ。
手摺を掴もうとして掴めずそのまま後ろ向きのまま倒れ、
お尻と頭を強打。若い青年が抱き起こしてくれた。
頭の痛みはとれたが,身体の痛みは酷いもので
立ち上がれずどこにも行けず、お休み中家の中。
松岡医師から「この病気で死ぬことはないから」と
なんども言われた。
でも人は転んで打ちどころが悪いと命を
おとしてしまう。
そう簡単に死ぬのだ。
病気自体では死ななくても関連したことで
死ぬことも大いにあるのだ。
交通事故もしかり。
初めて自分の病気が死と繋がった瞬間だった。
それからというもの転ぶのが怖くて
坂道さえ歩くのがいやになった。

2度目の外来は1度目より素直に聞きたいことが聞けた。
メールもほとんど止めていたし気を負うことがなかったのだ。
近況の報告をすると、一緒に行った兄が通勤をさせることや、
ここまで通院させることが危ないといったもので、転院の話になった。
松岡医師も兄の気持ちを理解して紹介先をすぐ探すことで話は終わった。
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