桜舞う頃に
別邸から北に少し歩いたところに開けた場所があった。


木々が生い茂り、透き通った蒼の湖が広がる場所。


淑子しか知らぬ場所だった。

幼い頃、見つけた自分だけの場所。

逃げ場所だった。


そして、神の降臨があった場所。



「ん~!!!!!」


手を伸ばし、息を思いっきり吸う。


こんなことが出来るのもこの場所だから。


屋敷の部屋ではそんなことをすれば女房から叱られるのだから。


「次期女御となられるお方がなんとはしたないことを。」


そういわれる。


あそこでは淑子は羽も伸ばせない。


湖を見ていると水浴びをしたくなってしまう。


久しぶりに泳ぎたいと・・・・・


とことん羽を伸ばしたいと思っていた。


近くにあった桜の幹に着物をかけ、淑子は小袖だけで水の中にもぐっていった。


「あっ・・・気持ちイイ・・・・」


ひんやりした感触に、淑子は満面の笑みを浮かべていた。


春だからか、水は冷たかったがそんなことは関係ない。


モヤモヤと心に影を落とすものを水がすべて洗い流してくれるようで。


スイスイと泳ぐ時間。


誰にも見咎められない時間がそこに存在したのだから・・・・・


水面から顔を出せば、水面には桜の木が映っており、ハラハラと花びらを降らせていた。


水面が揺れるそのとき、初めて淑子は気づく。


誰かそこにいたことを。


知らぬものが、自分以外のものがいるという・・・・・


そして、ソレは淑子にとって恐怖以外何者でもなかった。


盗賊?


私は殺される・・・・・・?


恐怖でガタガタと震える淑子。


そんな淑子を見るに見かねてだろうか、声をかけてくる人。


「なぜにあなたみたいな人がここにおられるのです?」


見たところ鄙びてないから公達なのだろう。


着ている狩衣も立派なところからみてもそこそこ上位の公達であることは確かだった。


だからこそ、淑子は慌てる。


女性が将来添い遂げるもの以外に早々姿を見せるものではないのだから。


こんなことが都にいる父君に知られたら・・・・・・


そう思い、逃げようと水面から上がり、逃げようとするものの・・・


はたと自分の姿に気づく。


自分は今、小袖だけ。


水の中にいたため、肌にぴったりとくっつき、体の線を晒していることに。


慌てて淑子は目の前の公達から体を隠すように木々の裏に回り、姿を隠す。


「どうか、どうか今見たことはお忘れくださいませ。」


震えながらもそういう女性。


チラッとしか見ることは叶わなかったが、亜麻色の美しい髪に神の啓示を受けた証の紫の瞳。


美しいとしかたとえようがないほどの美姫だった。


あの物腰だとどこか高貴な生まれの姫君なのだろう。


印象的な紫の瞳で都で知らぬものはないうわさの美姫のことを思い出す。


『水に愛されし姫』と呼ばれる左大臣家の息女 淑子姫を。


自分を含め、神に愛されし子が生まれることがある。


そんな時、瞳にその掲示がなされるのだが、同時期に自分を含めて5人もの神に愛されし子が生まれることはまずない。

神は気ままなのだから。

奇跡としか言いようのない同じ時に生まれた神の祝福を受ける姫。


彼女が祝福を受ける神は『玉依姫』


初めて降臨した神であった。


玉依姫の祝福を受けたこの姫に『水』の祝福があったのは有名である。

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