カプチーノ·カシス
「里沙……その噂、これ以上広めないで」
「……私が黙ってることはできるけど、他の人の口までは塞げないわよ?」
「……それでも、お願い」
あたしの必死の様子に何かを感じ取ったのか、里沙は黙って頷いてくれた。
久しぶりに課長の顔が見られると楽しみにしていた初出勤のはずが、階段を上る足は開発室に行くことを拒否するように、重い。
いつもは長く感じられる廊下の距離も、今日は極度に短く感じられた。
逃げたい……でも、逢いたい。
あたしがドアノブに手を伸ばしたり引っ込めたりを繰り返していると、不意に内側から扉は開いた。
「……何してるの?」
きょとんとした顔を覗かせたのは、一週間ぶりに会う課長。
「え、あ……あの、おはようございます」
「久しぶりだね、元気そうで良かった」
課長があたしに向けたのは、いつもの柔らかな笑顔。
きっと、まだあの噂を知らないんだ――。