お医者様に好かれるだなんて、光栄なことだと思ってた

医師の意に反するそっけない態度


 この柱の陰で待つのはもう二度目になる。 

 あれから一か月半の時が流れ、再び新しいワンピースをネットで購入し、肌の手入れは顔だけでなく、両脚と両腕も念入りに行ってきた。

 今日のワンピースは藤色の綺麗な色で、少し短い。

 その、丈の長さを本間がどう解釈しても良いように、あらかじめ避妊具を持って行こうかどうかは今さっきまで悩んでいた。

 だけど、結局バックには入れなかった。

 そういうことになって、バックから出す勇気はない。

 その一点に尽きるからだ。

 携帯を確認し、着信が入るのを待つ。

 本間が新幹線を下りたと同時に連絡が入る手はずになっており、この近くの駐車場に止めている本間の車でドライブに行く予定になっていた。

 時刻表は確認しているので、もうホームには下りていることは間違いない。

 昨日は相手が大阪にいたので連絡が取れていないが、まさか忘れたわけじゃないだろうな……。

 不安が過ろうとした時、予想よりも10分遅れで携帯が鳴った。

『もしもし? 今駅の入口だけど。どこかな?』

 良かった、声は普通だ。

「あっ、私も正面口の近くにいます」

『あ、ごめん。裏口なんだ。そこまで来てくれる?』

「あ、はいっ」

 勢いよく返事をして、小走りで歩く。スカートから太腿が出ないように、気を遣いながらヒールを鳴らす自分に満足をしながら歩いて行くと、予告通り本間の姿があった。



「疲れたー……」

 10も年上の本間の体力がどの程度なのかはよく分からない。

 だが、今確実に気まずい雰囲気であることは間違いなかった。

 スーツの上着を脱ぎ、ワイシャツだけの恰好になっているのは良いのだが、いつものようなキレがなく、明らかに疲れていることが目に見えた。

 そんな本間はそれを隠そうともせず、ただハンドルを握り、約束のドライブに付き合ってくれている。

 申し訳ないことこの上なかった。

「先生……すみません、ありがとうございます……」

「……さっきまで寝てたから。ちょっと眠いだけ……」

 本間は行き先も気にしていないのか、ただ前を見て首を回したり、溜息をついたりしている。

「会議……お疲れ様です……」

「うん……」

 隣を盗み見た。運転している姿は無表情だがまっすぐ前を見る横顔は凛々しく、いつもと違う近距離に緊張感が増した。

「……コーヒー飲もうかな」

 眠気覚ましのつもりなのだろう。肩身が余計狭くなる。

「あ、はい……」

 返事しかできない。

「どっか店、入ろうか……。それとも車がいい?」

 ちら、とこっちを見られた。

 それだけで、いつもの何倍もドキリとする。

「い、いえっ。あの、どちらでも……」

「あそう? じゃあホテル入ろうか」

 ズキン。

 心臓が痛いくらいに鳴る。

「ロイヤルホテルが近くにあるから」

 し、下心、ないよね……。

 いやまさかそんな、いや、それにしても、客室はカフェのすぐ上にあるし、けどまさか今はチェックインの時間じゃないし……。

 ぐるぐると考えすぎて胸がつまり、少し気分が悪くなる。

 真紀は座り直してゆっくり状態を起こすと、静かに深呼吸をした。

 本間はそんなことはもちろんつゆ知らず、無言のままものの数分でホテルの駐車場に入る。

 時刻は午後2時半。既に4時のタイムリミットは近づいてきている。

 時計を気にしながらも、本間の後に続いてホテルに入る。

 入るなり、普通のカフェではダメだったのだろうかと思う。開かれた、全く密会感のない2人きりのホテルでのカフェデートに、真紀は少なからず失望していた。

 ホテルは上品で、サービスがよく、値段が高いなりに、良い雰囲気が味わえる。

 そのおかげかせいか、2人きりでいても、まさか不倫だとは思われにくい。

 そこを狙ってホテルにしたのか、ただホテルをいつも使い慣れているのか、真紀には本間の本音が全く読めなかった。

 2人は白い楕円形のテーブルを囲んで椅子に腰かける。

 辺りは人がまばらで、誰もこちらのことなど気にしていないようだった。

「あれから映画、行った?」

 コーヒーを2つ注文するなり、本間は聞いた。

「あ、はい……」

 実は結局吉住ともうまく休みが合わずに行けていないが、ここでそう言うわけにはいかなかった。

「映画好き? 僕たまにチケット貰うんだよね。

実家の土地をショッピングモールに貸してるんだけど、そのショッピングモールに映画館が入ってて、そこから映画のチケット送ってくるわけ。親はよく見に行ってるけど、僕もたまにもらうんだよね。まあもらっても結局人にあげることがほとんどなんだけど」

 本間が突然資産家に見え、余計縮こまってしまう。

 今までも、裕福な生活を送っている気はしていたが、まさか実家もそうだったなんて。

「ご実家は近くなんですか?」

 辺りさわりなさすぎる会話のおかげで、ウェイトレスがコーヒーを運んできても、何も気にせず会話を続けられる。

「ここから一時間くらい。近いよ。土日はたいてい行ってる」

 あぁ、それで土日出られないわけか……。

「吉住さんは? 実家こっち?」

 本間は辺りさわりなく、聞いてくる。

「いえ、私は2時間くらいかかります。だから、あんまり行くこともなくて……」

「子供が4人いるんだったね。なら大変だね。親が近くにいないと」

「そう、ですね……。けど今、外に働きに出るようになって、すごく楽しく毎日を過ごしています」

「息抜きになる?」

「……」

 砂糖を2杯も入れたカップを傾ける本間に目を見つめられる。捉えられたような気持ちになり、目が、離せなかった。

「毎日、先生とお会いできるのが……」

 だが、そこまで言って、目を逸らしてしまう。

「……そう……」

 本間がコーヒーを飲む音が聞こえる。こちらを見ているのかどうかは分からなかったが、顔を上げる勇気はなかった。

 今の一言でどう思われたのか全く分からないが、とにかく、相手の出方を待つのみだと信じた。

「……お互い、家庭があるしね」

 何を言おうとしているのかが分からず、ただ固まったまま、本間の声に全神経を集中させる。

「おーい」

 ハッとして本間を見た。

「あっ、はいっ」

「どうしたの? 固まって」

 本間は何ともなさそうに、笑ってこちらを見る。

「あ、いえ……」

 目を逸らすしかなかった。本間とこちらの意図は完全にずれている。そう認識するしかなかった。

「うーん、3時かぁ……」

 本間はロレックスを確認した。この前つけていた時計とは違う。

「4時には帰らないといけないんだったっけ?」

「え、まあ……」

「一時間じゃ無理かな。上へ上がるの」

 上?

 何のこと?

 と思うことにした。

 だが、もちろん完全に理解していた。

 上……客室に上がる。

「あのっ……最長6時までなら大丈夫です」

 もしかしたら、本間は2階のレストランの話をしているのかもしれない。だが、それでもとにかく今は時間を延ばすしかないと思った。

 保育園には仕事が長引いたと事前に電話をすれば6時までは預かってくれる。幼稚園も同様だ。

「3時間……行こうか」

 本間は空になったカップをソーサーに戻すと目で合図をし、立ち上がる。

 それと同時に、真紀も立ち上がった。コーヒーはまだ一口しか飲んでいなかったが、そんなことを気にする余裕は全くなかった。

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