お医者様に好かれるだなんて、光栄なことだと思ってた
セックス
♦
客室のカードキーの番号を確かめると、本間はエレベーターのボタンを押した。
ぐんと底が上がり、浮遊感で落ち着かなくなる。
「ここ、泊まるのは初めてだなあ」
本間は呑気そうに言ったが、真紀は「泊まるの!?」と内心焦った。さすがに突然の宿泊は無理だと咄嗟に上手な帰り方を考える。
「あ、泊まりじゃないけど」
本間は独り言のように訂正した。
やはり、6時には帰るつもりか……。
いや、6時では遅い。少なくとも5時半にはここを出ないと6時には間に合わない。
それがうまく言えなかったら1人タクシーで帰ろう。
そう考えているうちに、すぐにエレベーターは階に到着する。
「はいどうぞー」
本間は片扉を抑えてこちらが出るのを待っていてくれる。
真紀は慌ててドアからすり抜け、廊下に出た。
「ええと、こっちかな」
カードキーを見ながら客室を探す。
「あ、ここここ」
見つけると本間はすぐにキーを通した。
中には本間が先に入る。続いて真紀が入った。
「我慢できなかったでしょ?」
そう言われて、先に入ったはずの吉住が待ち構えていて壁に押し付けられたことがあった。
過去の出来事を一旦消去し、窓の方にのんびり進んだ本間の後ろ姿を見た。
既に手は腕時計を外そうとしている。
「シャワー、一緒に入る?」
突然の提案に、慌てふためいた。
「えっ、いえっ、そんな……あの、いえ、後で入ります……」
「あそう。良かったら身体洗ってあげようと思ったんだけど」
「…………」
本間の顔はいつも通り。
「入る?」
もう一度聞かれた。
「え。あ、じゃあ……少し、電話しますので、それから……」
「はいはい」
無駄毛の処理、してきてよかった……。
それ以外の何も思いつかずに幼稚園と保育園にお迎えが遅れる旨の連絡をできるだけ小声で入れた。
そして、本間に続いて当然のように洗面室に入る。
既にワイシャツのボタンを外していた本間は、真紀が入るなり、自分の服を脱ぐ手を休めて、ワンピースに手をかけてきた。
「ファスナー、下ろしてあげる」
「すっ、すみません」
言われるがままに後ろを向く。
ファスナーを下ろすとすぐにキャミソールが見える。
肩から落ちそうになる生地を両腕で支えていると、相手がズボンを脱ぐ音が聞こえた。
「先、入ってるよ」
ドアを開けてバスルームに入って行く音だけが聞こえた。
どのタイミングで入ろうか迷っていると
「まだー?」
とすぐに中から聞こえ、慌てて全裸になり、ドアを開ける。
「すみません……」
「はーい、こっち来て」
本間は子供でもあやすように、壁掛けしたシャワーの前にこちら向きで私を立たせ、向い合せになるように位置してから、ボディソープを大量に泡立てはじめた。
後ろから吹き出すシャワーのせいで髪の毛が濡れ、頭の中を通ったお湯が顔にまで流れてきているが、それをかばう余裕などなかった。
終始とりあえず胸の前で両腕を組む恰好で胸部を隠している私に気付いたのか、
「恥ずかしい?」
少し笑いながら聞かれた。
「……はい……」
俯き加減で応えるのが精一杯。
「ごめんね、手どけてね」
腕を外すなり、胸に泡をつける直接的な行動に驚きながらも、目を逸らしてその感触を楽しんでしまう。
次いで、下半身の股だけ再び丁寧に洗い、今度は壁側に身体を向かせると、シャワーで泡を洗い流してしまう。
その間、本間は特に何もしゃべらなかった。
さて、ここでバスタブに湯が全く入っていないことを改めて認識する。
だが本間は、
「さ、出ようか」
と言って、シャワーだけ浴びて先に出てしまった。
まあ、時間がないのだから仕方ないか、と、拍子抜けして後に続く。
「はい」
出るなりバスタオルを手渡してくれる。
「ありがとうございます」
本間はというとざっと拭くとそのまま先に洗面室から出た。
「さあさあ、こっちおいで。時間がなくなる」
キスはしなかった。求められたらしただろうが、求められなかったのでしなかった。
本間とのセックスがどうだったかと聞かれれば、予想通りという答えが一番良いのかもしれない。
初めてのセックスで性感帯も分からないのに、イキナリ気持ちよくなれるはずがない。
つまり、本間は最終的に自分が持って来たゴムの中に果てたのでそれなりに気持ち良かったのかもしれないが、真紀としては、なんとなくつながっただけの、妙なべとべと感だけが残った身体になってしまっただけのような気がした。
後処理のために本間が自らの手でティッシュで拭ってくれたのはいいが、それらが全て拭えた気はしなかった。
時刻は5時前。本間は下着だけつけると、冷蔵庫からペットボトルの水を取り出して半分飲んだ。
「水、飲む?」
ベッドに足をくずして座っている真紀に聞く。
「あ、はい……」
真紀は受け取り、ボトルに口をつけながら本間をじっと見た。
相手も目を逸らさずに見つめる。
「何?」
逆に機嫌よく本間は聞いてきた。
「先生……、私、こんなこと、初めてなんですけど……」
先生慣れてるんですか? という一言を飲みこんで、まず自分のことを説明した。
「うん、そんな気がした。けど、他言しないことを理解してくれているだろうなって確信してたから」
それだけで判断したの!?
もう一度目を見つめたが、本間はそれに気づかず続ける。
「お互い家庭があっても、そういうこともある。あってもいい……かな。誰にも知られなければ」
「……先生、慣れてるんですか?」
もうどうでもいいやと思って聞いた。
「慣れてないよ。いつもドキドキしてる」
いつもが余計だよ!!
「…………」
仕事、やめよう。半分以上既に決心していた。
悲しみではない。やるせない、に近いのか。
ただ、泣きたい気分じゃない。
真紀はそのまま無言で着替え、髪の毛もざっと乾かして身なりを整えると
「急ぐので先に帰ります」
と、ドアの前に立った。
「え、僕も帰るよ。送る」
あと、上着を着るだけになっていた本間は慌てて最後の用意をし始める。
「構いません、私……」
「送るよ。元の場所まで。それが僕の役目」
目を見つめられて言い切られた。
どんな役目だ……。
思ったが、何も言い返せずに、少し嬉しくなってしまう自分がいた。
「どうしたの? 来た時とは別人みたい」
本間は少し笑いながら最後の確認をし、ドアを開けて外に出る。
真紀もそれに続いて廊下に出た。
「……分かりません……」
慣れていると聞いて突然不機嫌になっていると思われたくなかった。
「そう? なあんか怒ってるみたいだけどなあ」
言いながらエレベーターを待つ。すぐに、電子音は鳴り、扉が開いた。中には誰もいない。
「怒ってない?」
ボタンを押しながら本間は聞く。
「怒ってません」
伏し目がちにもそう言った。
「あそう。んじゃ、おまじない」
本間はその言葉でこちらが顔を上げるのを予測していた。
完全にタイミングを見計らい、唇をつけてくる。
更に、舌が侵入してくる。
驚いたせいで身体が少しぐらつき、慌てて本間の胸に手を置き、バランスをとった。
ポン、という軽い電子音が再び響く。
離れなければ、人に見られるかもしれない、そう思ったのに、本間は逆に一度身体をぎゅっと抱きしめ、そして、そっと離した。
扉が開きかけたところで、ようやく唇が離れる。
先に本間は一歩歩み始めたが、それとは逆に真紀は足が思うように動かず、そのまま立ち尽くしてしまい、本間に手を引かれるまでエレベーターから出られなかった。
「大丈夫?」
駐車場まで、本間は終始笑顔でずっと手を引いてくれた。
仕事、辞められないかもしれない。
今はそんなどうでも良いことしか考えられない。
助手席に乗り、車が発進してからも、本間は手を握り続けた。
「柔らかい手だね……」
妻と比べているのか、本間はその感触を確かめるように、何度もさする。
本間と同じ年くらいの妻だろうか、だとしたら、肌の感触が結構違うのかもしれない。そう予想しながら、本間の手の感触をただこちらも感じ取る。
今まで知りえなかった本間がどんどん見えてくる。
もっとこちらが話しかければ、うまく会話も弾むかもしれない。
そうなれば、もっと楽しくなるかもしれない。
やっぱり仕事、続けよう。
そう思って、こちらを見ていない本間を見つめた。
「指の先まで柔らかい」
「そうですか?」
手は家事である程度荒れているはずなのに、それでも褒めてくれて嬉しかった。
思い切って、指に指を絡ませる。本間はそれにもしっかり応えて、ぎゅっと握り返しながら言った。
「ナースの手はよく荒れるけどね、吉住さんの手はすごく柔らかい」
客室のカードキーの番号を確かめると、本間はエレベーターのボタンを押した。
ぐんと底が上がり、浮遊感で落ち着かなくなる。
「ここ、泊まるのは初めてだなあ」
本間は呑気そうに言ったが、真紀は「泊まるの!?」と内心焦った。さすがに突然の宿泊は無理だと咄嗟に上手な帰り方を考える。
「あ、泊まりじゃないけど」
本間は独り言のように訂正した。
やはり、6時には帰るつもりか……。
いや、6時では遅い。少なくとも5時半にはここを出ないと6時には間に合わない。
それがうまく言えなかったら1人タクシーで帰ろう。
そう考えているうちに、すぐにエレベーターは階に到着する。
「はいどうぞー」
本間は片扉を抑えてこちらが出るのを待っていてくれる。
真紀は慌ててドアからすり抜け、廊下に出た。
「ええと、こっちかな」
カードキーを見ながら客室を探す。
「あ、ここここ」
見つけると本間はすぐにキーを通した。
中には本間が先に入る。続いて真紀が入った。
「我慢できなかったでしょ?」
そう言われて、先に入ったはずの吉住が待ち構えていて壁に押し付けられたことがあった。
過去の出来事を一旦消去し、窓の方にのんびり進んだ本間の後ろ姿を見た。
既に手は腕時計を外そうとしている。
「シャワー、一緒に入る?」
突然の提案に、慌てふためいた。
「えっ、いえっ、そんな……あの、いえ、後で入ります……」
「あそう。良かったら身体洗ってあげようと思ったんだけど」
「…………」
本間の顔はいつも通り。
「入る?」
もう一度聞かれた。
「え。あ、じゃあ……少し、電話しますので、それから……」
「はいはい」
無駄毛の処理、してきてよかった……。
それ以外の何も思いつかずに幼稚園と保育園にお迎えが遅れる旨の連絡をできるだけ小声で入れた。
そして、本間に続いて当然のように洗面室に入る。
既にワイシャツのボタンを外していた本間は、真紀が入るなり、自分の服を脱ぐ手を休めて、ワンピースに手をかけてきた。
「ファスナー、下ろしてあげる」
「すっ、すみません」
言われるがままに後ろを向く。
ファスナーを下ろすとすぐにキャミソールが見える。
肩から落ちそうになる生地を両腕で支えていると、相手がズボンを脱ぐ音が聞こえた。
「先、入ってるよ」
ドアを開けてバスルームに入って行く音だけが聞こえた。
どのタイミングで入ろうか迷っていると
「まだー?」
とすぐに中から聞こえ、慌てて全裸になり、ドアを開ける。
「すみません……」
「はーい、こっち来て」
本間は子供でもあやすように、壁掛けしたシャワーの前にこちら向きで私を立たせ、向い合せになるように位置してから、ボディソープを大量に泡立てはじめた。
後ろから吹き出すシャワーのせいで髪の毛が濡れ、頭の中を通ったお湯が顔にまで流れてきているが、それをかばう余裕などなかった。
終始とりあえず胸の前で両腕を組む恰好で胸部を隠している私に気付いたのか、
「恥ずかしい?」
少し笑いながら聞かれた。
「……はい……」
俯き加減で応えるのが精一杯。
「ごめんね、手どけてね」
腕を外すなり、胸に泡をつける直接的な行動に驚きながらも、目を逸らしてその感触を楽しんでしまう。
次いで、下半身の股だけ再び丁寧に洗い、今度は壁側に身体を向かせると、シャワーで泡を洗い流してしまう。
その間、本間は特に何もしゃべらなかった。
さて、ここでバスタブに湯が全く入っていないことを改めて認識する。
だが本間は、
「さ、出ようか」
と言って、シャワーだけ浴びて先に出てしまった。
まあ、時間がないのだから仕方ないか、と、拍子抜けして後に続く。
「はい」
出るなりバスタオルを手渡してくれる。
「ありがとうございます」
本間はというとざっと拭くとそのまま先に洗面室から出た。
「さあさあ、こっちおいで。時間がなくなる」
キスはしなかった。求められたらしただろうが、求められなかったのでしなかった。
本間とのセックスがどうだったかと聞かれれば、予想通りという答えが一番良いのかもしれない。
初めてのセックスで性感帯も分からないのに、イキナリ気持ちよくなれるはずがない。
つまり、本間は最終的に自分が持って来たゴムの中に果てたのでそれなりに気持ち良かったのかもしれないが、真紀としては、なんとなくつながっただけの、妙なべとべと感だけが残った身体になってしまっただけのような気がした。
後処理のために本間が自らの手でティッシュで拭ってくれたのはいいが、それらが全て拭えた気はしなかった。
時刻は5時前。本間は下着だけつけると、冷蔵庫からペットボトルの水を取り出して半分飲んだ。
「水、飲む?」
ベッドに足をくずして座っている真紀に聞く。
「あ、はい……」
真紀は受け取り、ボトルに口をつけながら本間をじっと見た。
相手も目を逸らさずに見つめる。
「何?」
逆に機嫌よく本間は聞いてきた。
「先生……、私、こんなこと、初めてなんですけど……」
先生慣れてるんですか? という一言を飲みこんで、まず自分のことを説明した。
「うん、そんな気がした。けど、他言しないことを理解してくれているだろうなって確信してたから」
それだけで判断したの!?
もう一度目を見つめたが、本間はそれに気づかず続ける。
「お互い家庭があっても、そういうこともある。あってもいい……かな。誰にも知られなければ」
「……先生、慣れてるんですか?」
もうどうでもいいやと思って聞いた。
「慣れてないよ。いつもドキドキしてる」
いつもが余計だよ!!
「…………」
仕事、やめよう。半分以上既に決心していた。
悲しみではない。やるせない、に近いのか。
ただ、泣きたい気分じゃない。
真紀はそのまま無言で着替え、髪の毛もざっと乾かして身なりを整えると
「急ぐので先に帰ります」
と、ドアの前に立った。
「え、僕も帰るよ。送る」
あと、上着を着るだけになっていた本間は慌てて最後の用意をし始める。
「構いません、私……」
「送るよ。元の場所まで。それが僕の役目」
目を見つめられて言い切られた。
どんな役目だ……。
思ったが、何も言い返せずに、少し嬉しくなってしまう自分がいた。
「どうしたの? 来た時とは別人みたい」
本間は少し笑いながら最後の確認をし、ドアを開けて外に出る。
真紀もそれに続いて廊下に出た。
「……分かりません……」
慣れていると聞いて突然不機嫌になっていると思われたくなかった。
「そう? なあんか怒ってるみたいだけどなあ」
言いながらエレベーターを待つ。すぐに、電子音は鳴り、扉が開いた。中には誰もいない。
「怒ってない?」
ボタンを押しながら本間は聞く。
「怒ってません」
伏し目がちにもそう言った。
「あそう。んじゃ、おまじない」
本間はその言葉でこちらが顔を上げるのを予測していた。
完全にタイミングを見計らい、唇をつけてくる。
更に、舌が侵入してくる。
驚いたせいで身体が少しぐらつき、慌てて本間の胸に手を置き、バランスをとった。
ポン、という軽い電子音が再び響く。
離れなければ、人に見られるかもしれない、そう思ったのに、本間は逆に一度身体をぎゅっと抱きしめ、そして、そっと離した。
扉が開きかけたところで、ようやく唇が離れる。
先に本間は一歩歩み始めたが、それとは逆に真紀は足が思うように動かず、そのまま立ち尽くしてしまい、本間に手を引かれるまでエレベーターから出られなかった。
「大丈夫?」
駐車場まで、本間は終始笑顔でずっと手を引いてくれた。
仕事、辞められないかもしれない。
今はそんなどうでも良いことしか考えられない。
助手席に乗り、車が発進してからも、本間は手を握り続けた。
「柔らかい手だね……」
妻と比べているのか、本間はその感触を確かめるように、何度もさする。
本間と同じ年くらいの妻だろうか、だとしたら、肌の感触が結構違うのかもしれない。そう予想しながら、本間の手の感触をただこちらも感じ取る。
今まで知りえなかった本間がどんどん見えてくる。
もっとこちらが話しかければ、うまく会話も弾むかもしれない。
そうなれば、もっと楽しくなるかもしれない。
やっぱり仕事、続けよう。
そう思って、こちらを見ていない本間を見つめた。
「指の先まで柔らかい」
「そうですか?」
手は家事である程度荒れているはずなのに、それでも褒めてくれて嬉しかった。
思い切って、指に指を絡ませる。本間はそれにもしっかり応えて、ぎゅっと握り返しながら言った。
「ナースの手はよく荒れるけどね、吉住さんの手はすごく柔らかい」