魅惑のくちびる
「ただいま」
ドアを開けると、玄関に脱ぎっぱなしで転がっている靴があった。
雅城のキャメルの革靴。いつも右側の靴が倒れているんだ。
そっと静かに揃えると、寄り添うようにわたしのパンプスも横に並べた。
相変わらず雅城は無言でテレビを見つめている。
今の雅城はまるで、目の前の四角い物体にだけ心を開いているかのように、わたしとは全く口をきこうとしない。
昨日までのわたしなら、ここでめげるところだった。
……でも、今日は違う。わたしから仲直りを切り出すんだ――。
「遅くなっちゃった、ごめんね」
ぎこちなさでいっぱいの気持ちをごまかすかのように、いそいそとハンガーにコートを掛ける。