魅惑のくちびる

松原さんは、タバコをポケットから取り出したけど、吸う素振りはなくて、ライターでトントンと箱を叩いているだけだ。

「オレはいつも、大切な人を大切にしようと思うと、すっと腕の中から消えてしまうんだ。

それまでは、わずかに腕の中にふわりと感じていた存在が、するっと抜け出していく。

でも、また自分の気持ちを押し込めることで、璃音ちゃんもいつしか消えてしまうのかと思うと心から悲しいよ。」


松原さんはいつも気持ちを押しつけることをしない。

たとえそれが、自分の欲しいものを手にすることのできない選択だとしても、相手のことばかり考えている。


今のわたしには、呼吸ができなくなるほどそれが苦しく感じる。

雅城から逃げているだけなのかもしれない、卑怯だと思う大きな気持ちを抱えながら――

自分の存在を温かく受け入れてくれる場所をひたすら求めていた。

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