魅惑のくちびる

今日はわたしたちの他にはお客さんがいなくて、店内は貸し切り状態だった。

「せっかくご予約いただいたのに、これじゃなんだか申し訳ないです」

オーナーさんが苦笑いしたけど、そのうち口コミできっとすごい人気店になりそうな予感だ。

だって、デザートはもちろんのこと、料理も全部手が込んでるとすぐにわかる味で、シェフの人柄が伝わってくるような優しい味がしたんだもの。




タクシーを降りると、松原さんは、ごく自然に手を握ってくれた。

少し骨ばった手は、しっかりとわたしの手を捕まえてくれている。

松原さんなら、この手でわたしのことを、束縛じゃない別なもので包んでくれるんだろうか。


シネコンへの通路は商業施設の横に設けられていて、入り口からまっすぐ進めばたどり着けるようになっている。

時間も時間だから人もまばらで、コツン、コツンという二人の足音だけが静かに響いた。


「璃音ちゃん、お願いがあるんだ」

急に足音を止めた松原さんがこちらを向いて言った。

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