魅惑のくちびる
玄関には、雅城の靴があった。
――なんだ、帰ってきているんだ。でも部屋は真っ暗なままだ。
足音も立てず部屋に入ると、パチンと電気を点けた。
「お帰り。今日は帰ってこないのかと思ったよ。」
ソファに横たわって目をつぶったまま、声だけをこちらに放り投げる。
「だって……わたしの帰る場所はココだもの。」
余計な言葉を発したくなかった。
頭の中を整理しないうちに言葉にしたらいいことがないってことくらい、わたしだってわかっている。
「なんなんだよ、アレ。オレの目に見えないところで、ああして松原と仲良くしてたわけ?」
――早速始まったようだ。わたしはなるべく心を落ち着けて対応することを意識した。
「松原さんも言った通り。わたしは今までお誘いに応じたことはないわ」
「でも、誘われてるだなんてオレは知らなかった。初めて聞いたよ。」
「それは……雅城に言わなくても良かったことなんじゃないかな」
火のない所に煙は立たないんだよ。
だったらわざわざ火種を投げ入れるようなことをしなくていい。
「秘密にしたかったわけ? オレに知られずうまいこと男にもてていたいって思ったってそういうことか。」
「何で……そうなるのよ」
気持ちを落ち着けようとすればするほど、雅城はそれを知っているかのようにつついてくる。