想你
「よくきてくれたね」
その声は以前別のプロジェクトでお世話になった先輩の声だった。
笑顔で迎えてくれた先輩に引率されてタクシーに乗り込む。
先輩が運転手に中国語で行き先を告げる。
行先も全て中国語で喋らないといけない……。
そんな当たり前のことに恐怖を感じた。
新しい環境に行くということでいささか遠足に行くような気分だったのかもしれない。
しかしその気持ちは先程の恐怖心が綺麗に消してくれた。
「水を買う」
「たばこを買う」
「どこに行く」
「これが欲しい」
「あれが欲しい」
「何個欲しい」
「何が食べたい」
「いくら?」
普段いかに言葉を発しているのか分った。
そして自分がこの国に対して何の知識もないことも。
怠慢に生きていたことがうつ病を生んだのかもしれない。
何不自由ない生活、目的のない生活、何かに飢えることは久しくなかった。
何かあれば誰かのせいにする、理由があればしょうがない……。
そうやって今まで折れ曲がってきた。
中国にはその飢えがあった。
飢えて吸収しないと生きていけない。
その国に蔓延る「飢え」は私の心の病を治していった。
中国に来て2カ月経ったある日、仕事帰りに同期と
いつもの日本人向けラーメン屋に向かった。
この頃になると勉強したかいもあり、
どこに行きたいぐらいはタクシーで言えるようになっていた。
しかし、細かい説明はできない為、大概付近で降ろされることが多かった。
その日は、いつもよりも更に遠くで降ろされてしまった。
ここからだと日本人向けのクラブ街を通らないといけなかった。
昭和の雰囲気を直接感じたことはないが、そんな言葉が合うようなネオン通りを、
ふらふらと2人で歩いていると、一人のクラブの女性が、お客さんをタクシーに乗せていた。
暗いネオンが光る道の中でも彼女の顔だけは、はっきりと見ることができた。
心を全て奪われるのに時間は必要なかった。
自分を司る細胞が彼女の引力に引き込まれていった。
こんな出来事が自分の中にもう一度芽生えるとは思わなかった。
彼女を横目にラーメン屋に向かう。
彼女と一瞬目が合った……。
体の中にある硬い何かが優しく溶けた。
いつも通りラーメンを食べながらさっきの彼女のことを話す。
中国には日本人向けのクラブがある。
彼女もきっとそこで働いている人だった。
ただしあの通りには何件もの店があり、彼女はどこのお店の人か分らなかった。
もし彼女の店が分かったとしても、彼女のような女性の場合、常連が多く、
人気が高い為、出会うことはできない。
所詮夢物語だった。
一瞬で全てを奪われる程恋したのは、大学生以来10年振りだった。
しかし、その芽生えたその感情はそっと胸にしまうしかなかった。
中国での仕事は多忙を極めた。
夜仕事が終わるのは、深夜2時、3時……家に帰ることができない日も続いた。
月に休みは1日.2日。
それでも刺激があり、充実していた。
仕事の納期も厳しく、がむしゃらに走ることで達成感もあった。
中国に来てからも相変わらず、妻からの連絡は無かった。
こちらから週に何度か連絡しても、メールが返ってくるのは3日、4日後だった。
「いろいろ忙しくて、メール返せないんだよね」
それが決まり文句だった。
結局彼女の中に私は存在していなかった。
忙しさは寂しさを幾分埋めてくれていたが、
それでも異国の土地で寂しさが無いと言ったらそれは嘘だった。
誰もいない家に一人帰り、一人でテレビを見て、一人で寝る生活は寂しかった。
ビザの関係で一時帰国をした際、妻と話し合い離婚した。
前から離婚届けには既に記入してあったし、
彼女が私を必要としていないことも中国で3カ月生活して分っていた。
妻は別れたくないと言ったが、もうこれ以上籍だけ一緒にいることに意味はなかった。
知り合って10年が経っていた。
生活を共にして8年。それが結末だった。
別れたくないと言われた時は決意がぐらついた……。
でもこれ以上一緒にいてもお互いが傷つけあうだけだった。
中国に戻り本当の一人の生活が始まった。
元々一人で生活していたが、やはり心のどこかに元妻はいたのかもしれない。
そしてその存在は、どこかで安心感を与えてくれていたのかもしれない。
その声は以前別のプロジェクトでお世話になった先輩の声だった。
笑顔で迎えてくれた先輩に引率されてタクシーに乗り込む。
先輩が運転手に中国語で行き先を告げる。
行先も全て中国語で喋らないといけない……。
そんな当たり前のことに恐怖を感じた。
新しい環境に行くということでいささか遠足に行くような気分だったのかもしれない。
しかしその気持ちは先程の恐怖心が綺麗に消してくれた。
「水を買う」
「たばこを買う」
「どこに行く」
「これが欲しい」
「あれが欲しい」
「何個欲しい」
「何が食べたい」
「いくら?」
普段いかに言葉を発しているのか分った。
そして自分がこの国に対して何の知識もないことも。
怠慢に生きていたことがうつ病を生んだのかもしれない。
何不自由ない生活、目的のない生活、何かに飢えることは久しくなかった。
何かあれば誰かのせいにする、理由があればしょうがない……。
そうやって今まで折れ曲がってきた。
中国にはその飢えがあった。
飢えて吸収しないと生きていけない。
その国に蔓延る「飢え」は私の心の病を治していった。
中国に来て2カ月経ったある日、仕事帰りに同期と
いつもの日本人向けラーメン屋に向かった。
この頃になると勉強したかいもあり、
どこに行きたいぐらいはタクシーで言えるようになっていた。
しかし、細かい説明はできない為、大概付近で降ろされることが多かった。
その日は、いつもよりも更に遠くで降ろされてしまった。
ここからだと日本人向けのクラブ街を通らないといけなかった。
昭和の雰囲気を直接感じたことはないが、そんな言葉が合うようなネオン通りを、
ふらふらと2人で歩いていると、一人のクラブの女性が、お客さんをタクシーに乗せていた。
暗いネオンが光る道の中でも彼女の顔だけは、はっきりと見ることができた。
心を全て奪われるのに時間は必要なかった。
自分を司る細胞が彼女の引力に引き込まれていった。
こんな出来事が自分の中にもう一度芽生えるとは思わなかった。
彼女を横目にラーメン屋に向かう。
彼女と一瞬目が合った……。
体の中にある硬い何かが優しく溶けた。
いつも通りラーメンを食べながらさっきの彼女のことを話す。
中国には日本人向けのクラブがある。
彼女もきっとそこで働いている人だった。
ただしあの通りには何件もの店があり、彼女はどこのお店の人か分らなかった。
もし彼女の店が分かったとしても、彼女のような女性の場合、常連が多く、
人気が高い為、出会うことはできない。
所詮夢物語だった。
一瞬で全てを奪われる程恋したのは、大学生以来10年振りだった。
しかし、その芽生えたその感情はそっと胸にしまうしかなかった。
中国での仕事は多忙を極めた。
夜仕事が終わるのは、深夜2時、3時……家に帰ることができない日も続いた。
月に休みは1日.2日。
それでも刺激があり、充実していた。
仕事の納期も厳しく、がむしゃらに走ることで達成感もあった。
中国に来てからも相変わらず、妻からの連絡は無かった。
こちらから週に何度か連絡しても、メールが返ってくるのは3日、4日後だった。
「いろいろ忙しくて、メール返せないんだよね」
それが決まり文句だった。
結局彼女の中に私は存在していなかった。
忙しさは寂しさを幾分埋めてくれていたが、
それでも異国の土地で寂しさが無いと言ったらそれは嘘だった。
誰もいない家に一人帰り、一人でテレビを見て、一人で寝る生活は寂しかった。
ビザの関係で一時帰国をした際、妻と話し合い離婚した。
前から離婚届けには既に記入してあったし、
彼女が私を必要としていないことも中国で3カ月生活して分っていた。
妻は別れたくないと言ったが、もうこれ以上籍だけ一緒にいることに意味はなかった。
知り合って10年が経っていた。
生活を共にして8年。それが結末だった。
別れたくないと言われた時は決意がぐらついた……。
でもこれ以上一緒にいてもお互いが傷つけあうだけだった。
中国に戻り本当の一人の生活が始まった。
元々一人で生活していたが、やはり心のどこかに元妻はいたのかもしれない。
そしてその存在は、どこかで安心感を与えてくれていたのかもしれない。