金木犀ホリック
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女も三十路を過ぎれば、ロストバージンに夢を持つことなど許されなくなる。


喪失できるか否かという根本的な問題になってきているので、相手がどうの、シチュエーションがどうのと阿呆なことを言っていられないのだ。
それに加え、十代で済ませてしまうこともおかしくない昨今、遅きに失した感はどうしても拭えないし、いい年した女が世迷言を吐いて、と顰蹙を買うのがオチである。

先月、処女のまま三十という大台に乗った私は、それを当たり前に承知していた。
三十年間到来しなかったセックスの機会が、ドラマのワンシーンの如く訪れるわけがないのだ。何しろ、頑なに守り通してきたわけでもなく、ただ単に誰からも求められなかっただけでここまできてしまったのだから。

しかし自分で言うのも何だが、私―能勢雪(のせ・ゆき)―は年相応の、それなりにまとまった顔をしている。
美しいとまではいかないが、切れ長の一重の瞳などは涼しげで感じがいいと思うし、しゅっと通った鼻筋もなかなかのものだ。少なくとも、他人様に不快を与えるような顔ではないだろう。

では内面はどうかというと、真面目で誠実であると自負している。
人によっては、融通が利かないとか、頑固だとかいう評価を与えるが、まあこれは受け取り手の主観に左右される程度であると思う。他に欠点を上げるとすれば、口下手で多少言葉足らずなところがあるが、これも友人程度に親しくなれば受け止めてもらえているので、眉を顰めるほどではないだろう。

であれば、不特定多数にモテなくとも、一人くらいは私を気に留め、関係を深めてくれてもよさそうなものだと思われるだろうが、いかんせん、大きな、正に大きな問題を、私は抱えていた。

背が、高いのだ。

小学校高学年辺りからひょろひょろと伸び始めた身長は留まることを知らず、百八十に手が届くかというところでようやく止まった。現在百七十八センチ。ヒールを気軽に履けない高さである。
自分をいつもいつも見下ろしてくる女など、男の目からしたら好ましく映らないであろう。
例えばニコール・キッドマンほどの美貌やグラマラスな躰があれば、不利を補って余りあるのかもしれないが、前述の通り並みの顔であるし、体つきも自慢できるほど凹凸に恵まれていない。欠点はあれど、カバーできる長所がない。

そんな大きな難題を抱えているので、三十を越したことを機に、色恋沙汰に期待することをやめ、このまま鉄の乙女とかいう有難い称号を抱えて独身のまま生きていこうじゃないかと決意した。半ば諦めも入り混じっていたけれど、生半可な期待を持つのも辛いものなのだ。


これから先の人生を一人きりで生きていくのであれば、重要なのは財力と健康である。

まず、老後まで安心して生きてゆくためのお金が必要である。
老いた時のことは最低最悪の事態を考慮しておかねばならない。誰にも迷惑をかけずに、死の間際まで自力で生きるのが理想であるが、病気ばかりは予想外だ。癌の家系である私は老衰でぽっくり死ねる自信もないので、高齢者支援施設等々で面倒を見てもらうことを考えねばならない。しかしこれは、倹しい生活を送りつつ、勤め先であるそこそこ有名な学習塾を真面目に務めあげれば問題ないであろう。

次は、健康である。
癌の家系と言ったが、これはもうサラブレッドレベルの代物で、父方も母方も、身内に癌以外で死んだ者がいれば、『珍しい』と語り草になるほどだ。だが、こればっかりは防ぐ手立てがない。不摂生を避けるとか、定期検診をこまめに受けるとかで対処するしかないだろう。そこから漏れるようにして病を得るのであれば、これは最早神の定めた寿命であると覚悟して死ぬしかない。

達観していたはずの私だったが、結局は己の考えの甘さを痛感したのであった。


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