金木犀ホリック
お一人様人生のスタートとして、私はこれから定期的に健康診断を受けることに決めた。まずは、母の命を奪った婦人病から始めようと婦人科の門を潜ったのだったが、そこで、すぐに躓いた。
「ここ、しこりがありますね」
熟練といった様子の、真っ白な頭をきっちりと撫でつけた女医は、触診するなりそう呟いた。
「右の乳房の、この部分。触ってみてください」
言われるままに指先で押してみると、こりこりとした異物の感触があった。申し訳程度の膨らみにふれるのはブラジャーのカップの中に脂肪をかき集めるとき以外になく、しこりはその雑な行為の中では気付きにくい乳輪寄りの部位にあった。
「気付きませんでしたか?」
呆然とした私に女医が問う。
今初めて知った私は、ただ頷くしかなかった。
私の母の命を奪ったのは、乳癌だった。乳房に巣食った癌細胞は治療の速度を上回って増殖し、その住処を体の至る所に移した。左乳房を切除し、見る間にやせ細っていった母が病魔に屈して命を落としたのは、私が六歳の時。母はまだ、三十一歳だった。
その母と、今の私はさほど年が変わらない。もしかして、私も。
呆然自失となった私に、どこか事務的に話す女医は続ける。私は彼女のかけている鼈甲の眼鏡ばかりを見つめていた。
「形状からすれば良性だと思います。が、お母様が乳癌とのことですので、念のためにマンモと共に病理検査を行いましょう。しこりの部分の組織を採取しますね」
それから、マンモグラフィーを受け、触診では発見できなかったしこりが新たに二つ見つかった。
その後、しこり部分の組織とやらをとる処置をされたが、計三つも腫瘍が発見された私は、ひたすらに「死期が来た」とばかり考えていた。
母の没年と年が近いのも、同じ病なのも、意味がある気がしてならなかった。私も母のように病の床に臥せり、死んでいくのだろう。
一週間で検査の結果が出ますので、と言われて病院を後にした私だったが、どこをどう歩いているのかも分からない状態だった。気付けば、全く知らない土地の、赤の他人の家の前で、満開の時期を迎えた金木犀をぼんやりと眺めていた。小さな橙色の花と、濃厚な香りを感じながら、これからどうすればいいのだろう
と考える。
医療費くらいは、捻出できるはずだ。
貯金もあるし、付き合いで加入した保険には幸いにも癌特約がついていたはずだから、年金生活に突入した父や、同棲生活を楽しんでいる弟に金銭的な迷惑をかけることはないだろう。
問題は私亡きあとだ。
二人は大丈夫だろうか。一人暮らしを楽しんでいる父も、年々弱っていくだろう。その時面倒を見るのは、弟の建しかいない。
彼女の美弥子ちゃんと結婚してくれたら少し安心だけれど、倦怠期とかで喧嘩ばかりのようだし、別れるかもしれないと愚痴を聞かされたのはつい最近だ。
二人の仲が終わってしまえば、私と同じ不器用な健が新しい彼女を見つけ出すのは至難の業だ。美弥子ちゃんと交際を始めたときでさえ、驚いたものだったのだから。
職場の教え子たちも気になるところだ。
メンタルの管理が大事な時期に講師が変わるという変化は、避けねばならない。ざっと数えてみても、環境の変化に敏感な子が六人もいる。
「癌だなんて、ああ、どうしよう」
まだ癌だと決まったわけではない、検査の結果待ちである。医師の、『良性』という言葉を信じればいいのかもしれない。
しかし、遠き記憶となった病床の母の姿ばかりが蘇り、その姿がこれからの自分の姿であると思えてならないのだ。
はあ、とため息交じりに地面を見下ろせば、ビーズを零したように橙の花が広がり落ちていた。
しゃがんで、そのひとひらをちょいと摘み上げてみる。
金木犀の旬は短い。この花はどれだけ、咲き誇っていられたのだろうか。きっと、そんなに長くないだろう。なんとなく自分の人生と重なったが、私という花は誰にも愛でられたことが無いなと思い至り、小さく笑った。
短い生であってもその輝きを芳香として放ち、人々に愛でられたのなら、いさぎよく散ることができるのかもしれない。
しかし私は、人生の、女の旬というものを誰にも愛でられずにここまできて、そしてそのまま死の病を迎え入れようとしている。
虚しさを覚えながら、とぼとぼと帰路についた。
「ここ、しこりがありますね」
熟練といった様子の、真っ白な頭をきっちりと撫でつけた女医は、触診するなりそう呟いた。
「右の乳房の、この部分。触ってみてください」
言われるままに指先で押してみると、こりこりとした異物の感触があった。申し訳程度の膨らみにふれるのはブラジャーのカップの中に脂肪をかき集めるとき以外になく、しこりはその雑な行為の中では気付きにくい乳輪寄りの部位にあった。
「気付きませんでしたか?」
呆然とした私に女医が問う。
今初めて知った私は、ただ頷くしかなかった。
私の母の命を奪ったのは、乳癌だった。乳房に巣食った癌細胞は治療の速度を上回って増殖し、その住処を体の至る所に移した。左乳房を切除し、見る間にやせ細っていった母が病魔に屈して命を落としたのは、私が六歳の時。母はまだ、三十一歳だった。
その母と、今の私はさほど年が変わらない。もしかして、私も。
呆然自失となった私に、どこか事務的に話す女医は続ける。私は彼女のかけている鼈甲の眼鏡ばかりを見つめていた。
「形状からすれば良性だと思います。が、お母様が乳癌とのことですので、念のためにマンモと共に病理検査を行いましょう。しこりの部分の組織を採取しますね」
それから、マンモグラフィーを受け、触診では発見できなかったしこりが新たに二つ見つかった。
その後、しこり部分の組織とやらをとる処置をされたが、計三つも腫瘍が発見された私は、ひたすらに「死期が来た」とばかり考えていた。
母の没年と年が近いのも、同じ病なのも、意味がある気がしてならなかった。私も母のように病の床に臥せり、死んでいくのだろう。
一週間で検査の結果が出ますので、と言われて病院を後にした私だったが、どこをどう歩いているのかも分からない状態だった。気付けば、全く知らない土地の、赤の他人の家の前で、満開の時期を迎えた金木犀をぼんやりと眺めていた。小さな橙色の花と、濃厚な香りを感じながら、これからどうすればいいのだろう
と考える。
医療費くらいは、捻出できるはずだ。
貯金もあるし、付き合いで加入した保険には幸いにも癌特約がついていたはずだから、年金生活に突入した父や、同棲生活を楽しんでいる弟に金銭的な迷惑をかけることはないだろう。
問題は私亡きあとだ。
二人は大丈夫だろうか。一人暮らしを楽しんでいる父も、年々弱っていくだろう。その時面倒を見るのは、弟の建しかいない。
彼女の美弥子ちゃんと結婚してくれたら少し安心だけれど、倦怠期とかで喧嘩ばかりのようだし、別れるかもしれないと愚痴を聞かされたのはつい最近だ。
二人の仲が終わってしまえば、私と同じ不器用な健が新しい彼女を見つけ出すのは至難の業だ。美弥子ちゃんと交際を始めたときでさえ、驚いたものだったのだから。
職場の教え子たちも気になるところだ。
メンタルの管理が大事な時期に講師が変わるという変化は、避けねばならない。ざっと数えてみても、環境の変化に敏感な子が六人もいる。
「癌だなんて、ああ、どうしよう」
まだ癌だと決まったわけではない、検査の結果待ちである。医師の、『良性』という言葉を信じればいいのかもしれない。
しかし、遠き記憶となった病床の母の姿ばかりが蘇り、その姿がこれからの自分の姿であると思えてならないのだ。
はあ、とため息交じりに地面を見下ろせば、ビーズを零したように橙の花が広がり落ちていた。
しゃがんで、そのひとひらをちょいと摘み上げてみる。
金木犀の旬は短い。この花はどれだけ、咲き誇っていられたのだろうか。きっと、そんなに長くないだろう。なんとなく自分の人生と重なったが、私という花は誰にも愛でられたことが無いなと思い至り、小さく笑った。
短い生であってもその輝きを芳香として放ち、人々に愛でられたのなら、いさぎよく散ることができるのかもしれない。
しかし私は、人生の、女の旬というものを誰にも愛でられずにここまできて、そしてそのまま死の病を迎え入れようとしている。
虚しさを覚えながら、とぼとぼと帰路についた。